もしも、またキミと過ごして、私がこの感情を覚えていられたなら。
次は、私から言うよ。放課後の教室にでも呼び出して。
『好きなんだ』って。
『恋してるほうの、好きなんだって』


ちょっと甘酸っぱい曲SS『Hello,Again -昔からある場所-』 music by MY LITTLE LOVER


…季節は、初夏。
長い間空を覆っていた雲は流れ去り、太陽の光は、熱くコンクリートの校舎を照らし始めている。
窓の外は、木々がその緑を深めていた。
きっと、もうすぐ蝉たちが地面から抜け出してきて、騒がしく合唱を始めるのだろう。
ホットコーヒーも飲めなくなる。アイスコーヒーの季節になるからだ。
今はただ静かで、風に揺れる葉の音がほんの少し、ささやかに耳に届くだけだった。
…本当に、ただただ静かだった。
自動販売機のアイスコーヒーは、風情がないと思う。
氷はじゃりじゃり言うばかりで、ヒビの入る涼しげな音も聴こえやしない。
アイスコーヒーはガラスのコップに、大き目の氷が相応しいと思った。

「ふう…」

日差しの熱は、放送室の中まで侵入してくる。
この調子だと、扇風機でも持ってきたほうがいいかもしれない。
ただでさえ、この部屋の機材は熱を持つ。
冷房を効かせても、風なんて回りきりそうもなかった。
ピアノの前に座り、傍から窓を開けた。
夏の香りを乗せた風が、放送室の中に吹き込んでくる。
カーテンがなびき、少しレールが動く音を響かせた。

「…」

その上に置いてあった、携帯電話が青く点灯しているのに気が付く。
…メールの着信だ。
差出人の名前は…。

「…」

 その名前に、見覚えがあるような。
だけど、確証が持てなかった。
遥か昔に出逢った人の名前でもなさそうだし、だからといって特別な関係の人間でもない。
きっと、歯車の誤差が起こした、何気ないイタズラなのだろう。そう割り切り、メールを見る。
『きっとそこにいくから、まってて』
…こんな暑いところにか?誰が好き好んでそんなことをするというんだ。
…私が知る人に、そんな人がいたような気がした。
だけど、それ以上考えるのも面倒になって、思考を停止し、ピアノに向き直る。
「…早く、来ないかな」
何だかんだで、本当は待っているのかもしれない。
このメールの送り主を。そして、回りだす歯車を。
…ただ、それはもう少し先になりそうだ。


 そこには、人形しかいない。
文字通り、言葉どおりの『人形』だ。
同じ動作を繰り返す人々。同じところを朗読し、同じメニューをなんとも思わず食べ、同じグラウンドで汗を流す。
毎日繰り返される、当たり前のような動作。時間のドレイになっている人形達。
「…」
そんな彼らがイヤで、私はここにいる。
ただ薄々気付いてはいるのだ。私に何があったか。

 キッカケは修学旅行。
私たちが乗っていたバスが遥か崖下に転落し、そして私はとっさに近くにいた誰かを庇い、車外に放り出された。
普段の身体能力なら、絶対死なないと思っていたのに、私はそのまま気を失い、どうやらその直後の大爆発で
木っ端微塵にでもなったのだろう。
しかし、生き残りがいた。
その生き残りは言うなれば雛のようなもの。自力では生きられず、現実を受け入れられず、きっと壊れるか死ぬだろう。
だから、目を覚ました彼らが絶望しないようにと、誰かが提案して、とっさに虚構の世界を作った。
時間が流れることの無い、空虚なセカイを。
その中で私たちは生き続け、誰かの物語のたびに主役脇役を繰り返し、そして確かに彼らを強くした。
だが彼らはセカイの真実に気付き始める。私はもとより乗り気ではなく、遊撃行動を取っている立場だったが、
そのイレギュラーを何とかしてくれ、とセカイの創造主に頼まれた。
だから私は、、、何をしたんだっけ。
まぁそんなことはどうでもいい。私という『個人』の本体は今や『故人』。
私はここに残った残留思念。このまま帰らぬ人か、もしくは会いたい人を待ち続け、そのまま静かに消える存在。
…本当は、消えたくないのにな。
確かにそのセカイで、私は私だった。誰よりも、何よりも、私だった。
初めて知った、あらゆる感情。
それを放棄して、諦めて、投げ出して。気が付いたら私は独りになっていた。
どうしてだろうな。元々独りは慣れていたのに。それだけあの時間が充実していたのだろうか。
誰かの為に脇役となり、最後の最後で主役となった、私の物語が。

 いつも待ち続けた、雨上がりの梅雨明けは、あっさりと終わりを告げた。
現実を受け止めて、決して泣かないと決めて、ここまで歩いてきた。だけど、気が付いたら独りだった。
…もういい。このまま現実を受け入れよう。
そうすれば、きっと、私はここからいなくなる。解き放たれる。
…だというのに、何故かここで待ち続けたいと願ってしまう。
その人は、きっと現れる。そう思えて。
「早く…来ないかな…」
待ち続けるだけ無駄な気がする時間を、私はどうしたらいいのだろう。
小さな後悔。
もう少し、何か出来なかったのか。何とかできなかったのか。
抗うだけ無意味な行動だとしても、私は…。


 人形の中に、気になることがあった。
席が、二つ空いているのだ。
きっと、あの事故で生き残った人間たちなのだろう。だから、こっちのセカイにはいない。
彼らはきっと、全ての悲しみを受け入れられるくらい強くなって、その結果このセカイに依存しなくても、
生きていけるようになったのだろう。めでたいことだ。
「…」
だけど、その席にも覚えがあった。
…。
ええい、つまらん事を考えるのが億劫になってきた。
これは、考えるな、受け入れろ、という『創造主』の思惑なのだろうか。
もう、本来の目的を達成したのだから、そんな縛りなど必要あるまい。だというのに。暇な奴だ、創造主というのは。
「来ヶ谷」
「…恭介氏か、その声」
「あぁ。何とか、覚えていたようだな」
人形の中に、人形じゃない奴がいた。見覚えがあった。
棗恭介。このセカイの創造主だ。
そして、私のような残留思念ではなく、創造主として、このセカイの終焉を見届けてから消える運命なのだろう。
空虚なセカイ、抜け殻になった場所が壊れるのを、見届けて。
「しかし恭介氏。もう無駄な足掻きじゃないのか?」
「何がだ」
分からないというのか。なら教えてやろう。
「ここにいない人間は、現実を受け入れるだけの強さを得たんだろう?なら私たちも用済みじゃないのか?」
「…そうでもないさ。まだ、な」
まだ?
意味が分からない。
「夢は終わったんだ。そして、もう誰かの夢に住むこともなくなった。後は発狂するか自然消滅か、だろう」
「そうだな…。だが、お前はそれでもここに残っている。現実を受け入れたらあっさり消えられるのに」
「…」
ここにいた大勢の人間は、一人、また一人と現実…爆死したか焼死したかは知らんが、それを受け入れ、
そして笑ってフェードアウトしていった。確かに、日に日に人形が増えて、その代わり生き生きしている人形は
減っている気がしていた。そうか、受け入れれば…。
「受け入れれば、私もあの人形のように、何も考えずに生きられるのか」
「どうやらそうなるだろうな。俺たちは、その肉体が滅んでも、この世界で生き続ける事が出来る」
このセカイを望んだ、誰かの記憶の中で、ずっと生きていける。
「だから俺は、人形劇の監督を演じて、ほとぼりが冷めたらセカイを消すことにするぜ」
「…あいにくだが、私は人形になる気は無くてね」
「…消える運命なんだぞ、どちらにしたって」
あぁ、それは分かっている。
だから、最期の瞬間まで探したいんだ。
ここで、こうして誰かを待っている、私という人間のレーゾン・デートル。
去り行く恭介氏の背中に叫ぶ。
「私は」
「…?」
「私は、誰かを待っているんだ。ここにはいない、誰かを」
「…諦めろ」
諦めることが出来たらここにはいない。
きっと、その人は、諦めることが出来ないくらい、私にとって意味のある存在なのだから。
「理樹、か?直枝理樹」
「…」
恭介氏は何故か、メールの送り主を知っていた。
「なぜ、知っているんだ」
「…お前にとっては、絶望しかない結末だろうな。だから、もう忘れろ」
「…」
知っているさ。私だって分かっている。彼はこちら側の人間じゃないと。
この空席は、きっとその直枝理樹のものなのだろう。
懐かしい香りの、懐かしい机。
「…理樹は、きっと今頃強く生きているさ。俺や、お前、そしてもうここにはいない仲間達のおかげでな」
「…」
「だから、俺たちはもう還るべき場所へ還ろう。そして、何も無かったかのように、生まれ変わればいい」
静寂と共に、恭介氏は消えた。


 恭介氏が消えた教室で、私はそこに腰掛けた。
直枝理樹の、机に。
「…」
普通の、空虚な木の机。
だけどそこは少し温かくて、そして、優しい感じがした。
温かい?
さっきまで、暑かったのに。何かに、抱き締められる感じがした。
…強いて言えば、何かが、開けていく、そんな始まりの予感。
『…』
「…?」
声が、した気がした。

 奇跡は確かにこのセカイに存在した。
私の命は救われたらしい。どうやら、強くなった、誰かさんの力で。
だけど、リセットされたセカイで、私は何も覚えていなかった。
もとより輪郭だけのセカイだったから、何一つ、優しい思い出は持ち合わせていない。
だけど、私の周りには、またいつもの騒がしい日常が還ってきていた。
「姉御〜っ!遊びに来たですヨ」
「うむ。回れ右して帰るといい」
「ぎぇぇぇっ!みおち〜ん!唯ねえが冷たいよ〜!」
葉留佳君の泣き言にも『私も同感です』と答える西園女史。あぁ、いつもどおりだ。
だけど、相変わらず、件の席は空いたままだ。
「なぁ、葉留佳君」
「ぐしぐし…ん?どしたの姉御?」
「…あの席なんだが、誰が座ってたのだろうか」
「…さぁ」
誰も、知らないのだろう。所在無しの机と椅子は、窓辺の花瓶が乱反射して、まぶしかった。
「…誰、だろうな」
問いかけても、考えても、時間の無駄に思えてきて、私はそこで思考をいったんストップした。
次は数学だ。お茶でも飲もう。いつもどおり、独りで。
…独りで?
誰か、いなかっただろうか。


 夏風、吹きぬける廊下で。
私は、懐かしい匂いに出会った。
強いて言えば、それは、昔とても大切にしていた宝物を見つけたときのような、そんな瞬間の匂い。
それは、一人のひ弱そうな男子生徒からだった。
…見覚えは、なくもない。
だけど、名前も分からないまま、私は彼の横をすり抜けた。
向こうも私に気付かないのか、それとも、最初から知らないのか、そのまま通り過ぎる。

 と、私の体は、後ろから抱き締められる。
「…何の真似だ」
「…ただいま、唯湖さん」
「…」
最初は見えなかったのに、次第に視界が開けていく。
そう。きっと彼が還ってきたのだ。本来あるべき世界に、待ちわびた、セカイに。
「お帰り、は言ってくれないのかな」
「…言うのはもったいないぞ、理樹君ごときには」
「…そう。なら、気が向いたら、言ってね」
お帰りなさい、理樹君と。
あぁ、言うよ。必ず。
もう少し気持ちの整理を付けてから、な。



 それからいくつもの時間を、私と、生き残った仲間達が過ごす。
授業をサボって修学旅行に行った。学祭でバンドをやった。幼稚園で人形劇を披露した。
いろんなことを、みんなで盛り上げ、そして、一瞬一瞬を笑って生きていた。
そして、同時におぼろげながら思い出した。私が、意地でもあのセカイに残ると決めた理由を。
還ってきた彼に、伝えるために。
「理樹君」
「好きなんだ」
「恋しているってほうの、好きなんだ」
放課後の教室、私の新しい季節は開かれる。
アイスコーヒーが、またホットコーヒーに変わるように、私もまた、新しい時間に向けて変わる。
私にとっての雪解けが、ようやくといったところかな。


---記憶の中で ずっと二人は 生きていける
  君の声が今も胸に響くよ それは愛が彷徨う影
  君は少し泣いた  あの時見えなかった---

 彼の口から出た答え。それは。

(終わり)


あとがき。

告白直前シリーズ、第2弾。
全てが終わった後の世界で、どんな感じで唯湖が過ごしていたかを補完したいとか思っていたら、
マイリトルラバーの懐かしい曲が流れてきたので、それとなく描いてみました。

曲名のHello,again.
それは、きっと唯湖、そして理樹の『もう一度会いたい』という願いを表してるんじゃないか、って
思うと勝手に筆が進みましたが、やっぱり曲が非常にいいので、作品が異常に陳腐に見えてきました。
だけど、曲そのものが非常にリトバスにあっている感じがするので、ぜひ聞きながら読んでみてくださいな。
時流でした。

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