まだ少し肌寒い季節。春先の、まだ朝日が昇る前のこの瞬間。
暗闇の中から少しずつ、少しずつ、僕を照らすように上る太陽。
そして、春の匂いを乗せた優しい風は、僕を空に舞い上げようと、強い風に変わる。
…もう、全ては終わった後なんだね。


シリアスな感じで行きますよ曲SS『風』 music by コブクロ

 山の雪も少しずつ溶け始める季節。花が少しずつ色めきだすこの時間が大好きだ。
ただ、今の理樹は同じ言葉を言うことが出来ない。それを言うには孤独すぎて。
「…僕は、まだ、先に進めないでいるんだね」
真人たちと過ごした日々が、まだ昨日のように感じる。
それなのに、理樹の部屋は急に寂しくなって、もうあの元気な声は聞こえてこない。
上の段に寝ていた真人の寝息が聞こえないだけで、こんなに寂しいのだろうか。
もうすぐあの事故から一年が経とうとしているのに、未だに割り切れずにいる自分がイヤだと、
何度もその状況を否定してみるけど、何一つ変わらない。これが、彼の世界。彼が選んだセカイ。
「理樹、入るぞ」
「あ、うん」
といっても既に入ってきてからそんな言葉を言ったのは、幼なじみ、そして彼と同じく事故から生還した棗鈴。
彼女は大切な親友や、兄を喪ったにも関わらず、理樹よりも早くそれを割り切って生きてきた感がある。
特別生きることに器用という訳でもないのに、だ。
そんな気高い仔猫は、理樹の横に座る。そしてその肩に頭を預ける。
「理樹。どっか連れてけ」
「うん、僕も、どこか行きたいって思ってた」
「…そうか」
どこかと言われても、実際にどこに行くと聞かれたら、目的地なんてない。
第一この季節だからどこも混み合っている。それは理樹も鈴も分かっていた。
そこには知った顔はあっても、本当に一緒にいたい顔がいない。それだけが寂しくて。
「…鈴?」
「ん?」
「お花見とか、どうかな」
「花見だと?」
「うん」
自分でも、何でお花見なのかは分からなかった。
春だから?桜の季節だから?
でも、どこもまだ桜は咲いていない。九州当たりまで南下すれば見れないこともないがまだ五分咲き程度だろう。
一番美しい八分咲きはまだ先の先。だけど、理樹は当たり前のように言う。
「桜じゃなくていいんだ。パンジーでもいい、シロツメクサでもいい、花が咲いていれば、それでいいんだ」
「…おまえ案外寂しい奴だな」
でも、それも悪くないな。
理樹と一緒ならどこでもいいと、彼女は嬉しそうに、その腕に自らの腕を絡ませる。
「…まだ、寒そうだな」
「うん、花冷えかな」
「なんだそれは」
説明するのも長くなりそうだったが、彼らの春休みは、そうして静かに始まった。


 「綺麗だな」
「うん…」
いつか、みんなで写真を撮ったような記憶がする、そんな河川敷。
写真は『向こうの世界』に置きっ放しに違いない。輪郭しか、覚えていないから。
「ここ、見覚えあるのに、なんで思い出せないんだろうな」
「…いいんだ、思い出さなくて。鈴は僕だけを、見ていてくれれば、それでいいから」
「…よく分からんな」
いいながら、土手を降り、そして芝生の上に横になる。
「まだ少し寒い…」
「そうだね」
理樹は、羽織っていたウインドブレーカーを脱ぐと、鈴のお腹にかけてやる。
「理樹?」
「鈴が風邪引いたら困るから、さ」
「…」
そうは言っても、さすがに理樹も厚着をしているわけではないから、やっぱり寒い。
我ながら無茶なことを、と思っていると、鈴に服のすそを捕まれる。そしてそのまま土手へ吸い込まれる体。
「痛いよ」
「いいから寝ろ」
「…」
そして、ウインドブレーカーの半分が、理樹のお腹にかけられる。
「これなら、二人ぽかぽかだ」
「…鈴」
「理樹が風邪を引いたらもっと困る。あたしの遊び相手がいなくなるからな」
「…」
もう、理樹以外に遊んでくれるバカはいないのだから。
バカな兄も、バカな筋肉も、バカな剣道少年も、バカな仲間達も。
だから、せめて理樹をそばにおいておきたい、理樹と笑いあっていたい。
そんな悲痛な叫びにも、理樹は優しい言葉を持たなかった。どう返事をすればいいか分からなかった。
「…」
「…」
沈黙が、二人を支配する。
事故が起こる前は、もっと、笑顔があったはずなのに。
笑顔を作ってくれる人がいなくなるだけで、ここまで変わってしまうものなのだろうか。
真剣に、そんなことを考えていると。
「…ちゅっ」
「あっ…」
頬に、温かいものが触れる。
鈴の唇だ。鈴が、理樹にキスをしただけのこと。
「理樹のむずかしい顔はキライだ。見たくない」
「鈴…」
彼女の声は、少し震えていた。
「理樹は理樹でいろっ!理樹らしい笑顔でいるんだっ!じゃなきゃあたしは寂しいぞ…」
「…そうだね。ゴメン」
「理樹…」
抱き締め、頭を撫でる。
約束した、ずっとそばにいる。これからはずっと。鈴を守って生きていくと。
「…」
「約束だもんね。ゴメンね、鈴」
「…ん」
お詫びのキスをねだる彼女の唇をふさぐと、優しい春風は、河川敷を舐めるように吹き抜けていった。
「やっぱり寒いな」
「そうだね。帰る?」
「…イヤだ。もう少しいる」
「そう」
どれだけ時間が流れても、静かに川は流れる。いつか、大海に注ぐために。
それならば、この悲しみはどこに流れ着き、誰が看取ってくれるのだろうか。
その前に、流れることはあるのだろうか。
今でも、それが怖くて。


 すっかり眠ってしまった鈴が、理樹の胸を枕にしている。
「…」
吸い込む空気は、桜の味がしたような、そんな感じ。
春一番が吹けば、そのまま春が来る。
そうすれば、山の雪も溶けて、少しずつ桜前線も北上して、新しい季節に胸を躍らせるだろう。
…あの事故現場に積もった雪も、少しは溶けるのだろうか。
そして、自分の心の氷は、いつになれば溶けてなくなるのだろうか。胸で寝息を立てる小さな命に問う。
「…僕は、少しは強くなれているのかな?」
恭介の背中を追って生きていただけの、あの頃に比べたら。
鈴は眠るのに夢中で答えてくれない。それが理樹には少し寂しい。

 朝が来るたびに切なくなる。
あの優しい風が、亡くした人を思い出させるから。
「…」
春のぬくもり、この寒い風をなくしてくれるくらいの、強い風を待ちわびる。
もう、この季節は寂しいだけで、何も与えてくれないと。
いっそのこと、全部吹き飛ばして欲しい。
指先を繋いで歩いたあの光景、デートの思い出や、一緒にお茶を飲んだり、お菓子を食べたこと。
バカなミッションに胸躍らせたこと。あの頃にはもう戻れないと知っているから。
「…」
空は、太陽の光がまだ少し覇気のない感じ。
花は、少しずつ咲き始めている。
仔猫は、まだ眠っている。まるで今から冬眠を始めたかのように。
「…」
この光景には、みんながいない。
もういい加減慣れなきゃ、自分に言い聞かせるたびに、本当にこれでいいのかと疑問を持つ。
でも、何かが変わるわけではない。今は、これでいいんじゃないか、という疑問系のセカイ。
「鈴、そろそろ、帰ろう?」
「…むにゃ…」
「鈴…」
起きる気は毛頭ないようだ。よほど幸せな夢を見ているのだろう。
「…」
そう考えれば、あの輪郭しか覚えていない、みんなといた世界は本当に心地いい世界だったのだろう。
恭介たちはその命を賭して、彼らに強くなる時間をくれた。そして、今ではそれをある程度受け入れられている。
だけど、それに素直に感謝できない自分がいるのも事実だと、理樹は思うのだ。
だから、もう一度彼らに会いたい、そう思った。
叶うなら、一番好きだったあの人に。
叶うなら、強くなった今の自分の思いを、伝えたいから。

 仔猫は、はっ、と起き上がり、そして理樹に問う。
「おい理樹!こまりちゃんを知らないか?みおは?」
「…鈴?」
「約束したんだ!本を借りるって、あと、お菓子を貰うって!」
「…」
「…そうだよな、夢だよな」
鈴はたちまち冷静を取り戻し、そして理樹に抱きつきながら語り始める。
「夢を見たんだ。みんなといた夢。こまりちゃんが新作のお菓子を作ってくれるって約束したんだ」
「みおは、本を貸してくれるって言ってた。くるがやは相変わらずだった。はるかは」
「…」
居た堪れなくなって、抱き締め、黙らせる。幼稚な手段だと自己嫌悪しながら。
「もう、いいんだ」
「…」
「もう、あの人たちには会えないんだ。だから、もういいんだ」
「…」

 最初は、信じていた。実はみんな生存しているんだって。
だけど、結局は裏切られた。身元不明の遺体があまりに多すぎて…という言葉を、耳にしたから。
それ以来、理樹はもう誰も生きていないセカイで、鈴を守るために頑張ってきた。
頑張りすぎて、空回りするくらい。
「…これからは、僕だけで鈴を…守っていくから」
「…」
平手が飛んできたのは、予想外だったのだけど。
「鈴…っ?」
「いいなんて、おまえの中のきょーすけたちは、その程度だったのかっ!?」
「…そうだよ。もう帰ってこない人たちなんだ!だから、僕はその人たちの分まで、がんばるんだ!」
子どもの喧嘩のような、もうこの世の人ではない彼の人たちには届かない、そんな言葉。
心のどこかでまだ受け入れられていない。だからせめて強がる理樹。そうしないと壊れそうで。
「辛いなら泣けっ!あたしもいっしょに泣いてやる!そしてまた笑顔になったらいっぱいキスしてくれ!いろいろ話してくれ!」
「…」
そして理樹は思い出す。
思えば、泣くことを忘れていた。ただ呆然としているだけで、泣くことなんてしていなかった。
頬を伝う優しい水は、やがて地面に落ちる。
「りん…っ…うぁぁぁぁぁ…っ…」
「それで、いいんだ。理樹は無理してないほうが、好きだ」
「…っく…」
分かった気がした。なぜ鈴があそこまで早く割り切ることが出来たかを。
---僕の知らないところで、いっぱい泣いていたんだね。
寂しくて、小さな胸が張り裂けそうな出来事に、我慢せず泣いたから、彼女は強くなったに違いない。
確信が持てたのは、理樹も涙を流すことで、ようやく気付き始めたからだ。
大切なものは帰ってこないけど、その彼らの為に泣いてやること。それが、彼らを忘れないということにつながると。
最後のピースが埋まったとき、イタズラな春風は、とんでもないプレゼントをくれた。


 部屋に戻ると、春風が吹きぬけた後の荒れ放題な状況に唖然とする。
「これはひどいな」
「うん…窓開けっ放しだったもんね」
泥棒を疑ったが、盗んでいくものなんて何一つない。真人の遺品ももうすでにここにはないから。
「…あれ、これ」
「…」
理樹の、机の上。
崩壊したはずのあのセカイに置いてきた、あの写真。
河川敷に集まった、リトルバスターズの、唯一残った写真だった。
「…」
「なんで、これが…?」
言う前に、それを手にする鈴。
「…きょーすけのにおいがする」
「…まさか」
生きているわけがないのに。
だけど、その兄の匂いがすると言い張る鈴の手には、確かにあの写真が握られている。
「…きっと、粋な春風のイタズラなんだよ。そして、その春風は」
小さなつむじ風が泣いている。
「…この風は、誰なんだろうね」
「…きっと、きょーすけか、誰かだ」
「…次の春も、吹くかな?」
「…そうだな、あたしと理樹が幸せである限りは、な」
「…そうだね」
もう帰らぬ人を思う時間は終わった。
これからは、彼らの分まで、鈴を幸せにしていこう。
そうして理樹は、一つの決意を口にする。

 「鈴」
「ん」
「僕は、本当はね、小毬さんが大好きだったんだ。誰よりも優しい、あの子が」
「…知ってた。なんとなく、目を見て分かっていた」
鈴のほうが、数枚上手だったようだけど、やはり面と向かって死んだ人の話をされるのは辛いのだろう。
今はこの世の人ではない人間を、まだ引き摺っている理樹。それだけの存在の小毬に嫉妬する。
「だから、小毬さんを忘れられるくらいの、温かい気持ちにしてくれる恋に出逢うまで、僕の隣は誰にも預けられない」
「…」
我ながら酷なことを言っているに違いない。守るといいながら、違う人を好きになるかも、といっているようなものだ。
「だから、鈴。そんなダメな僕を、いっぱい叱って。そして、もう鈴しか見えなくして欲しいんだ」
「…っ」
僕が隣を任せたいのは、一緒に歩みたいのは、鈴だから。
精一杯の告白は、確かに彼女を射抜いた。
もう迷わない。そのキスは、理樹の心の氷を溶かしていく。
遅咲きの桜のように、ゆっくりだけど、確実に開いていく、理樹の心。
釣られるように、さっきまで蕾だった、庭の桜が開く。
「…まだ咲くはずがないのにな」
「…そうだよね」
花は、八輪…偶然にも、亡くなった仲間達の数だけ開く。
「…僕らを、祝福しているんだろうね、きっと」
「幸せに、なれよって」
本当なら、みんなで見ていたはずの桜。
その花に思いを寄せ、今一度交わすキスは、桜の味が確かにした。


----舞い上がる花びらに吹かれて あなたと見た春を探す
   小さなつむじ風鳴いている この風は あなたですか? 次の春も吹きますか…?----

(終わり)


あとがき

なんだこれは…出来の悪いジョークだぜ…と隣できょーすけお兄さんが唸っています。
確かに出来が悪いかも。原曲レイプも甚だしいと思いながら、書いていました。
特に最後の理樹のエゴイストな発言は、あたしの昔の彼氏を思い出しました。あぁイライラする。

と愚痴りながらも、原曲が気に入っているだけにスラスラと言葉が出てきました。
最近シリアスばかり書いてて、バカ系かいてないなぁ…時流でした。

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