自慢できる親じゃなくてもいい。
どんなに罵られようと、遊んでもらえない状況であろうと、それでいい。
結局は、どれだけ、子どもの記憶に残れる親であるか。ただそれだけに掛かっているんだろう。
親として生きる、ということは。


パパ理樹くん曲SS『願いの詩』 music by コブクロ


『僕のお父さん』

 僕のお父さんは、凄い変わり者です。
勉強を教えて欲しいのに、なぜかいつもコンビニのことしか教えてくれないんです。
コンビニのおにぎりの、新鮮さの見極め方とか、絶対そんなの使わないよという知識しかくれません。
お父さんは、有名な電機屋さんで管理職をしています。休みなんて滅多にないし、休みがあってもそれは平日。
僕が学校に行ってるときしかいません。だから、小さい頃からお父さんと遊んだことなんて、殆どない。
キャッチボールだって、ゲームだって、一緒にしたことは殆どありません。

今日だって…。


 「ねぇお父さん」
「んー?」
僕…直枝 遼(なおえ はるか)…は、父、理樹と母、佳奈多の間に生まれた男の子。
…なんで小説みたいな自己紹介してるんだろうな、僕。
本当は女の子で生まれてくる予定だったのに、生まれた瞬間付いてないはずのモノが付いていたから、急遽、今は亡き叔母さん…。
もっとも、僕が生まれるはるか昔に亡くなったらしいから、叔母さんって呼んでいいものか分からないけど。
その叔母さんの名前『葉留佳』からそのまんま名前をいただいて、遼になった、というオチを、この間母さんから聞かされた。
…父さんたちが結婚したばかりのころ、人気だったゴルファーの名前も、読み方こそ『りょう』だけど遼だ、なんてどうでもいい知識も
父さんから貰ったから、とりあえず父さん黙っててよ、と言ってみると、父さんは本気で落ち込んで部屋の隅っこで紙飛行機を作り始めたっけ。
母さんは、なんであんなバカな父さんを好きになったのか、未だに分からない。
たまに母さんが皮肉みたいに『あんたがお腹に宿ったからよ』なんてケラケラ笑いながら言うけど、仮にそれが本当なら、僕は極悪人だ。
母さんはもっといい男と結婚できたはず。結婚したとき24歳だったらしいから、あれから12年と計算すると、36歳。
今でも十分美人で、僕のひそかな自慢だったりする。
近所でも評判の母さん。それに比べ父さんはどうだろう。
いつも仕事仕事。もちろん、それで僕はここまで大きくなったのだから、文句なんて言えるわけが無い。
だからこそ、腹が立つんだ。
肝心なときにいてくれない父さん。運動会だって、母さんから進められて始めたチェロの発表会だって。
今日も、ダメモトで聞いてみることにした。
「今度の水曜日、父親参観日なんだけど…」
答えはすぐに帰ってきた。
「ゴメン遼。水曜日は仕事だよ。会議もあるし、出られない」
「…」
分かってた。
最初から仕事人間の父さんなんてアテにならないんだ。
「もう、パパ?たまには休み貰って行ってあげなさいよ」
そこで、見かねた母さんが、さっきまで洗ってた食器を全部洗い終えたのか、一番最後の大きい白いお皿を水切りに置いて、
手を拭きながら、僕と父さんの前に寄って来る。
「最近、遼ともロクに遊んでないし、父親参観に母親が行くのもいい加減格好が付かないのよ?」
ため息。それは、父さんに向けて?それとも、参観日の話なんか出した、僕に向けて?
そんな僕の意志なんて関係ないのだろう。母さんはこめかみを押さえながらソファに座った。
「で、遼?こんなパパだけど、ママが行ってもいいなら行くわよ?」
「…」
ヤダ、父さんがいいんだ!
そんなことを言うほど、僕はもう子どもじゃない。そんな子どもになれる勇気も無い。
机の上には、昨日イヤイヤながら書いた、水曜日のための、作文。
題名は『僕のお父さん』。
なんで今更こんな小学校低学年の内容の作文を書かせるんだ!なんて思ったけど、確かにこれはこれで難しい。
早い家庭では既に反抗期に入ったヤツもいるみたいで、僕みたいないい子過ぎる子は珍しい。
だからこそ、難しく感じるのだろう。
父への反発と、尊敬の念で揺らぐ僕の、心にとって。
「…母さんでいいよ」
「そ。分かったわ。異論は無いわね、パパ?」
「うん。お願い、ママ」
「…」
あっさりしてるものだ。謝罪の念すらないのだろうか。
父さんは今日が休み。明日からまた6連勤だー、とか言いながら、寝室に向かう。もう、寝てしまうのだろう。
「…遼。お父さんのこと、嫌い?」
「…」
そんな父親の背中を、拳を握りながらプルプル震えて見ていたのがバレたのか、母さんが語りかけてくる。
「お父さん、本当は行ってあげたいのよ。それは間違いなく保証してあげる」
「…」
大人の保証なんて、信じられるものか。
そして、隣に座るように促してくる。言われるままに隣に腰掛けると。
ぎゅっ。柔らかい、母さんの胸。
僕には弟も妹もいない。母さんは僕を出産した後しばらくして、子宮を病気で摘出してしまい、もう子どもは産めない身体だという。
そんなの、年頃の子どもに話して何が楽しいんだか。なんて憎まれ口を叩いてみるけど、もしもの話、母さんが産んでくれるのが
もう少し遅かったら、僕はもうこの世にいない、生まれてきても、何らかのハンディキャップを抱えた子どもになっていたかもしれない。
そう思うと、素直に感謝せざるを得ない。だけど、種つけるだけつけた父親自身は、その母さんの大事な手術の日も、クレーム対応とか
何とかで病院に現れず、だったと母さんが以前教えてくれた。
「父さんは、仕事と僕たち、どっちが大切なんだろ」
「…」
母さんは僕の頭を撫でるだけで、何も答えてくれない。
思い切って、聞いてみた。
「父さんと、離婚しないの?」
「…」
離婚。それは最近知った、社会的な手段の一つだ。
…親友の両親が、最近離婚したから。やっぱり、父親が典型的な仕事人間で、家庭を顧みない人だったらしい。
「そうね。出来るならしたいわ」
「母さん…」
撫でながら、優しく続ける。
「でもね。それはお父さんが本当に仕事だけしか興味を示さなくなった場合の最終手段だと思っているの」
「誰も可愛い一人息子を片親でも欠けた子どもにしたいなんて願うもんですか」
それが親の義務だから。
そんな風に言う母さんに、悲しさを覚えた。
なんで、あんなヤツのために、自分を犠牲にするんだ。
僕にもっと力があったなら、父さんをぶん殴って家からたたき出すのに。
母さんは、いい匂いで温かい。僕は、こんなに強い母さんが誇りだ。
女としての機能の一部を失っていても、それに負い目を感じることなく、胸を張って生きている母さんが、大好きだ。

 でも、父親は嫌いだ。
本音を言うと、あんな男が父親であることが、本当はイヤなんだ。
小さい頃、友達とケンカして、服を泥だらけにして、体中擦り傷だらけにして帰ったとき。
母さんは慌てて駆け寄ってきて、大丈夫?痛くない?って言ってくれた。
なのに父さんは。
『よく汚したね。偉いぞ』
それだけ言って、また部屋に篭って仕事の残りを始めたっけ。
その頃は僕も小さくてバカだったから、父さんに増えたキズを笑いながら自慢げに見せれば、褒められると思ってた。
成長して、本当は父さんは僕になんて興味ないんじゃないか、って思い始めた。
だから、たまに会った父さんとは、あまり話さないし、こっちから勝手に部屋を出て自分の部屋に篭る。
父さんはそんな僕を寂しそうに見送る。そして、また1人寂しく紙飛行機を作っては飛ばし始める。
何がしたいかさっぱり分からない。そんな怒りに似た感情を抱きながら、僕はまた、すれ違いを繰り返す。


 そんな僕も、もうすぐ卒業。
春からは中学生になり、また大人に近づく。
夢見たもの、信じたもの、いろんなものを箱に仕舞って、また進んでいくんだ。
『つまらない大人』というヤツに、なるために。
父さんも母さんもそうだったんだろうか。僕みたいに、思ってたんだろうか。
だからこそ今回の参観日には来て欲しかったんだ。息子の声を、聞いて欲しかったんだ。
その結果がコレ。作文用紙は破ろう。宿題は忘れたんだ、って事にしよう。
母さんを振りほどくと、僕は部屋に戻ろうと立ち上がる。すると。
「…作文破らないであげてね?」
「…知ってたの、母さん?」
意外だったから聞いてみると。
「何年あんたの母さんやってると思ってるのよ。父親参観の定番だもの」
やっぱり母さんには敵わないや。
部屋に戻って、作文を確認する。誰も触ってない、僕だけの、父親に対する思い。
書いていても、手を上げなければ、当てられることもないだろう。教師と目を合わせなければいいだろう。
そんな作戦を考えつつ、僕はベッドに吸い込まれていった。


 水曜日はあっさり来た。
午後からの国語の時間に合わせて、少しずつ、少しずつ、父親達が集まってくる。
だけど、両親で来る家庭もあれば、親自体来ない家庭、祖父母が来る家庭、事情はさまざまみたいだ。
まるで、それが当たり前であるかのように、我が家の自慢の母さんが来たのは授業の始まる5分前だった。
「遼、お前の母ちゃん、やっぱ美人だよな」
「…そうかな?」
言いながら、横目で母さんを見る。微笑み。
「…」
なんで照れるんだ、息子なのに。
そんなこと考えているうちに、チャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。
「はいみんな、授業始めるわよ!」
「起立!礼!」
お約束の通り、作文の発表。
「さぁ、テーマの通りお父さんで書いてきたでしょうし、発表してもらいましょ。さぁ、自信ある人手を上げてー」
担任の笑夢(えむ)先生は、服装と声が可愛いのに、顔は凄く大人びていてかっこいい。なんか母さんに似てるんだ。
母さんも笑夢先生はお気に入りみたいで、週末に商店街で仲良く話してるのを見かける。
そんな学校での母さんみたいな笑夢先生がみんなに促すと、周りはいっせいに手を挙げるのに。
……挙げられない、僕の手。
「あれ、遼くんは書いてきてないの?」
「……はい。忘れました」
「もう、仕方ないわね。あ、お母さん、怒らないであげてくださいね」
母さん、ちょっと残念そうな顔をしたけど、分かってるんだ。
目が、僕に語りかけてくる。
『本当は、お父さんに聞かせたかったのよね?』
何年母さんの息子やってると思ってるんだ。それくらい分かってたし、母さんだってそれくらい分かってるんだ。
だから、僕は。
「じゃ、村本くん、読んで」
「はいっ!僕のお父さん。僕のお父さんは、海上保安庁で海猿をやっています。海猿というのは---」
隣の席で、サッカークラブの村本くんは、お父さんが海上保安庁で潜水士をしている。
人の生命を助けるかっこいい仕事。それに比べ僕の父さんは、僕の心すら、救ってくれなくて。
休日は毎日一緒にサッカーをしているんだって。だけど、訓練や急な出動でお預けになるときは。
「でもお父さんは、溺れて苦しんでいる人を助けたい、亡くなっていても、せめて遺体を家族に返してあげたい、そう思って潜ってると言ってました」
「僕も将来、いっぱい鍛えて、お父さんみたいな人のために何かが出来る人になりたいと思います。終わり!」
「はい、よく出来ました。今日はお父さんはどちらかしらー」
笑夢先生、墓穴掘ってます。今日はお母さんが来てます。
「お父さん、この前の漁船沈没事故の捜索で今海にいるんです」
「あー。そうだったわね。お母さん、ごめんなさい」
苦笑いの村本くんのお母さん。笑夢先生、こういう抜けてるところも可愛いんだよなぁ。
「じゃ次は女子にしましょうか。さやかちゃん、読んでもらっていい?」
「はいっ。わたしのお父さん!」
末永さんのお父さんは、確か飛行機の整備士だったはず。だけど今日はちゃんと来てる。
この時間だけなんだろう。汚れた作業着で、それでも誰よりかっこいい姿勢で娘の発表に聞き入っている。
「いつも汗臭くて、油臭いお父さん。でも誰よりも機械に詳しくて、何でも作れるお父さん。将来はお父さんみたいなお婿さんが欲しいです」
「お父さんのジャッジは厳しいぞー!」
「もうっ、お父さん!」
ドッとこみ上げる笑い。笑夢先生もクスクスと笑いながら。
「さやかちゃんは可愛いから、きっと見つかるわよ。ありがとう。それじゃ、次…」


 そのときだった。
廊下がやけに騒がしくなる。授業中なのだから、そんな騒音の元が発生するわけないのに。
ゴキブリでも出たのかしら。笑夢先生が言う。いや、そのりくつはおかしい。
なんてバカなことを思い浮かべていると。
僕の席は廊下に近いほうだから、聞こえてきたんだ。声が。

『今すぐ救急車呼びますから!寝ててください!』
『ダメなんですよ。息子が待ってますから!』
『そんな無茶苦茶な!』
保健の高橋先生が止めるのに、それを聞かずに歩いて進んでくる人がいるんだろう。
…その声の主が、引き扉を開けて。
「遼っ!コンビニは断然ファミマだよね!」
「っきゃぁぁぁっ!」
廊下に一番近い席の女の子が、声を上げる。
騒然とする教室。笑夢先生が駆け寄る。
「ちょ、遼くんのお父さんじゃないですか!」
「パパっ!」
母さんも磁石のように、釣られて駆け寄る。
「ちょっとどうしたのよ!血だらけじゃない!」
何でそんなに冷静なんだ、母さん。
父さんは頭から血をダラダラ流し、シャツの襟元と胸の辺りが既に赤に染まっていた。
保険の授業で習ったことがある。人間は一定以上の血液を失うと、体内機能が正常に動作しなくなり、やがて。
「父さんっ!」
「遼っ、約束守ったよっ。後で店長に怒られちゃうかもね」
「父さん…っ」
「でもいいんだ。今日は、」
そこで、父さんの身体が力をなくし、そのまま倒れこむ。平然と受け止める母さん。
「母さん!」
「はいはい分かってるわよ。病院へ急行よ、大至急!」
間髪いれず、救急隊の人が来た。どうやら高橋先生が呼んでくれたのだろう。
「あ、笑夢先生は同行しなくていいですよ。ちゃんとみんなを落ち着かせてあげなきゃ、先生失格よ?」
「…はいっ!」
動揺漂う教室。笑夢先生は全力の笑顔で、一言。
「大丈夫みたいです。みんな、授業再開っ!」
…声上ずってたけどね。
そして僕は、母さんといっしょに、救急車で病院に付いていった。
初めて乗る救急車。意識の無い父さん。大丈夫なんだろうか。何もかも実感が湧かなくて。


 集中治療室に担ぎ込まれるってことがどんなことかくらい、僕も分かっている。
出血が酷すぎます。手は尽くしますが、もしものときは、覚悟をしてくださいね。
そういう医者に対して母さんは『えぇ。この人と結婚した時点で色々覚悟はしてますから』と平然と言い放ってたっけ。
お医者さん、凄いポカンとした顔してたよ。
「母さん、何であんなこと。父さんが死ぬかもしれないんだよ?怖くないの?」
飲み干したジュースのアルミ缶をグシャッ、とひねり潰す。
「あら、強くなったわね遼」
「何でそんなに冷静なのさっ!」
声を荒げる。通りすがりの看護士さんがビックリして振り返っていた。
母さんは。
「バカね。仮にもママとあんたのパパなのよ?」
助からないかもしれない。助けてもらえないかもしれない。
「それでも、せめて家族はパパの強さを信じてあげなきゃ。それが家族ってものでしょ?」
「母さん…」
「それより」
母さんは、バッグから何かを取り出した。
机の上に、わざと置きっぱなしにしていた、父さんへの作文。
「最初からこんな腹積もりだとは分かっていたわよ。ママではダメなんでしょうし」
「約束よ。ううん、むしろ罰。お父さんが元気に出てきたら、ちゃんと読み聞かせてあげなさい」
それが、親孝行ってものなんだから。
突き出される作文用紙。受け取る僕の手。
「父さん、大丈夫かな」
「大丈夫よ。大体あれだけ血を流しているくせにコンビニとか言ってる時点で死にはしないわ」
「その理屈はちょっと」
見合って、笑った。
「でも、まだ遼には話して無かったわね。パパは凄いのよ?」
「凄い?」
あんなぼけーっとしてて、頭悪そうで、そのくせコンビニにはやけに詳しい父さんが?
スーパーマンみたいに空を飛んだり、サノスケみたいにフタエノキワミとか叫びながら岩を砕いたり?
そんな風には絶対見えない父さんが凄いと思わない。現に今だって、母さんと僕に心配かけてるのに。
「パパはね、高校の頃、バスの事故に巻き込まれたの」
「事故…」
「そう。葉留佳おばさんは早くに亡くなった、って言ったでしょ?それはね、そのときの事故なの」
「…」
父さんは、その事故で葉留佳おばさんを初め、たくさんの親友とクラスメイトを失い、ただ1人生き残った。
そして、その苦しみを背負いながら、孤独に生きてきた。傷だらけになっても、走り続けていた。
「強い精神力と、優しさを持った人。そして、失うことを誰よりも怖がる人」
「そんなパパが、あんたを遺していなくなったりするもんですか。大丈夫。ママの太鼓判押してあげるわ」
「母さん…」
今は重厚な扉の向こうにいる、父さん。
生きて出てくるか分からない。でも、僕には信じてあげるしかできないんだ。
まるで、無名のランナーに、沿道の大勢の人たちが、声援を投げかけるように。
その追い風が、父さんを強く出来るならば。
やがて、しばらくして、集中治療室の処置中のランプが消えた。
出てくるお医者さん。駆け寄る僕。
「ねぇ先生っ!父さんは!?」
「……いやはや呆れるしかないよ。あんなにボロボロになるまで走って」
車にモロに轢かれて、内臓損傷と内出血。頭部裂傷と大量出血。
難しい言葉ばかりでよく分からないけど、つまり。
「ヘタすれば死んでいたところだ。その生への執念はすさまじい。だがこんな無理、もうさせないようにお父さんに言い聞かせるんだぞ」
そう言って僕の頭を撫でて、初老の先生は母さんに近づく。
「旦那さんは、少なくとも予断を許さない状況は脱しました。ですが容態が急変することが無いとは言い切れません。だからさっきのような…」
さっきのようなことは軽々しく言わないほうがいい、そう言いたかったのだろう。
だろうというのは、案の定母さんが言葉を遮ったのだ。
「あの人は丸っきり抜き身の刀なんですよ。家族のためならどんなバカでもする。そんな人と結婚した時点で、覚悟は必要でしょ?」
「は、はぁ…」
「大丈夫。あの人が死ぬとするなら、もうこの子が自分の足で走れるようになってから」
この慌しさが嘘のように、すぅっ、といなくなりますよ。
笑顔でそんなことを言うもんだから、医者も小言で『話にならん』とぼやきながら、歩き去った。

 「母さん」
「これでいいのよ。今日出会ったばかりの医者に、家族の強さは分からないもの」
「…」
そんなものかな。
なんてことバカ正直に考えていると。
「あー。看護婦さん、ファミマで男のティラミス買ってきてください」
「ダメですよ。ジャンクフードなんて」
「ジャンクじゃないやい。ちゃんと原料とカロリーは考え抜かれて…」
「はいはいパパ。看護士さんを困らせないの。ティラミスなら退院したらいくらでも食べさせてあげるから」
「え、ホント?口移しでだよ?」
「バカ」
……何なんだこの父親は、ナチュラルに会話が成立してるぞ。
「あ、遼。授業終わったの?」
「終わってないよ!父さんが無茶するから!」
「あ、そうだったんだ。なんか母さんのおっぱいの感触しか覚えてないや。たはは」
「ちょっとは反省しろよ!バカ父さん!」
思わず荒げた声に、しまった、と思ったときには。
「やっと正直に言ってくれたね、遼」
点滴のチューブを繋がれた、僕より一回りも変わらないけど大きな手が、頭を撫でる。
「バカって言われても仕方ないよ。でも、本当はね」
息子の成長を、見届けたかった。息子がいつもどんな風に思っているか、知りたかった。
それだけで、半生半死になりながら、突っ走ってきたと思ったら。
「ほら遼。アレ」
「わ、分かってるよっ!」
ここが廊下なのも気にせず、看護士さんも事情を察してくれたのか、作文の発表を止めなかった。
「僕のお父さん。僕のお父さんは---」


 僕のお父さんは、凄い変わり者です。
勉強を教えて欲しいのに、なぜかいつもコンビニのことしか教えてくれないんです。
コンビニのおにぎりの、新鮮さの見極め方とか、絶対そんなの使わないよという知識しかくれません。
お父さんは、有名な電機屋さんで管理職をしています。休みなんて滅多にないし、休みがあってもそれは平日。
僕が学校に行ってるときしかいません。だから、小さい頃からお父さんと遊んだことなんて、殆どない。
キャッチボールだって、ゲームだって、一緒にしたことは殆どありません。

 でも、家族と一緒にいる時間が少ないのは、お父さんも同じなんです。
きっと寂しいと思います。でも家族を養うために、そんな寂しさを吹き飛ばして頑張るお父さんが、僕の誇りです。
僕も将来、お父さんみたいに、全てを守ってあげられる、そんな強い人になりたいと思います。
お父さん、いつもありがとう。


 黙って聞きながら、頷いていた父さん。
「ねぇママ…ううん、佳奈多」
「何よ」
「あのときのブルーレイ、まだ残ってる?」
「…えぇ、アレでしょ。バッチリ」
「アレで分かるあたり、以心伝心だね」
「夫婦だもの」
何の話か、僕にはさっぱりだけど。
「あの頃の僕と、あの頃お腹の中にいた遼。そしてママ」
「いつか子どもに見せよう、って編集までしてたものね」
「そうそう、これで」
遅くなったけど、やっと踏み出せるね。直枝家の、本当の意味でのスタート。
「遼。退院したら12年前のお父さんを見せてあげるよ。もちろん、お母さんも」
「12年前の父さん…」
「そ。もしも僕があの頃の僕に手紙を書くとして、どれくらい約束守れたか、真実で書けるか不安だけど」
夕日はいつしか夜の帳に変わっていて、父さんの横顔は廊下の蛍光灯で見えるくらいだったけど。
「12年前のお父さんと、今のお父さん。遼に採点して欲しいんだ。悪いところは直していきたいしね」
どこまでも憎たらしいその笑顔からは、まだ当分お別れできそうになかった。
(おわり)


おまけ。

 「で、因みに佳奈多」
「何よ」
「本当は笑夢先生のおっぱいが良かったんだよね。佳奈多より2カップくらい大きいはずだしひでぶっ!?」
「チューブ全部切るか抜くか、それともグリグリされるか、どれがいい?」
「うぐぅ」
どこまでも、世に憚るバカな父親でした。


 あとがき。

 一連のシリーズ、これで完結です。
構想は去年、そしてようやく完成しました。というより佳奈多若いっ!36歳で二人目とか三人目がいないなんて!
なんて思ったけど、多少理由が不謹慎だったかな?と反省。でも年々乳がんや子宮がんは増えつつあります。
治療方法は年々進化していても、発見が遅れて全摘出だって未だにあるんです。それは、頭の片隅に、置いておいてください。

 テーマは家族愛。
バカだけど、誰よりも家族を愛している親バカ理樹と、そんなパパに呆れながら家族を支える佳奈多。
そして、葉留佳の名前を受け継ぎ、父親に疑問を感じながらも嫌いになれない、遼くん。
チャンスがあったら遼くんのストーリーも書いてみたいけど、それはそれで別の話、このシリーズはコレで終わり。
この物語の理樹と佳奈多がその後どうなったか。息子や孫に看取られながら幸せな生涯を閉じたか。
それは、皆さんが心の中で書き綴ってください。


 ちなみに笑夢先生は分かる人は分かるネタです。んじゃ、相坂でした。ノシ

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