※最初にお断りしておきます。
この作品には
猟奇的・暴力的な表現が一部に含まれています。
また、あくまで外伝であり、本筋にのっとったものではありません。
嫌悪感を感じる方は今すぐ閲覧をおやめになり、引き返しいただくことを推奨します。
また、この
作品中に登場する事故は架空のものであり、実在した航空機事故とは一切関係ありません

 きっと、僕は助からないんだろう。
だから、せめて遺していきたいんだ。
揺れる世界の中で、会いたい君に、最期の、願いを。


『陽のあたる坂道』外伝 ---Side;Riki


 その日の空は、とても綺麗だった。
雲ひとつない晴天。どこまでも、広がる蒼。
「やっと、会えるね」
チケットを見つめる。そして、深呼吸。
いつもの僕らしくない、周りから見たら可哀想な男の子に映ってやしないか、なんて
少しだけ心配してみるけど、人ごみは、僕を無視するように動く。
無理もない。季節はちょうど帰省ラッシュ。早く実家に帰って家族に会いたいのだろう。
「家族、か…」
僕には、会う家族なんていない。小さい頃、死んでしまったから。
だけど、そんな時、手を差し伸べてくれる男の子達がいた。
『きょうてきがあらわれたんだ!きみのちからがひつようなんだ!』
今思えば、あの時恭介たちに出会えなかったら、今の僕はいないはずだ。
仲間の有難さ。居場所のあることの喜び。
学園に入って、仲間が増えて。
いろんな悲しいことも経験した。そのたび、僕は強くなった。
恭介たちがいたから。そして、仲間達がそこにいてくれたから。僕は強くなれたし、克服できたものもある。
眠り病。ナルコレプシー。
ストレスから眠りに落ちてしまう奇病。
卒業後、僕は学園の推薦でとある大学に進学した。
そこは、世界で初めてナルコレプシーの研究を本格的に行っている医学部のある大学。
僕は言うなればこの病気を克服できた、よく言えば経験者、悪く言えばモルモット。
抵抗がなかった、と言えばもちろん嘘になる。どんな実験に使われるのか、どんな風に扱われるのか、
卒業前に恭介が『解剖実験されるかもしれないぞ』と冗談めいて言ったことが懐かしい。
あの時は内心ビクビクしていたけど、大学に入ってみれば意外にみんな優しくて、素直で。
『土産は期待しとらんよ。それより、無事に帰ってきてくれよ。君は俺の息子も同然なんだからね』
休暇に入る前、ゼミの冬月教授に今回の旅行のことを伝えると、そういう返事が返ってきた。
飛行機や新幹線は安心な乗り物なのに、わざわざ心配することかな。なんて思ってみたりもした。
実際彼から言わせれば、僕らゼミの学生は彼にとって息子娘も同然。
特に僕はなぜだか知らないけど気に入られていたフシがある。だから、尚更心配だったんだろう。
『最近の飛行機は落ちやしないと思うが、昔飛行機が落ちたんだよ。ちょうどこんな夏にね』
そう言って初老の教授は遠い眼をした。

 僕だって一度は耳にしたことがある、その名前。
昔飛行機が墜落して、多くの人が亡くなったことを聞いた。
冬月教授がそんなことを言うなんて意外だったけど、なぜ、と問うと。
『…犠牲者に知り合いがいたのさ。いや、本当にそれだけだ。だから俺は今でも飛行機が嫌いだ』
それだけ言って、もう何も教えてくれなかった。僕も、あえて追及しようとはしなかった。
空を飛ぶ、巨大な鉄のカタマリ。
あの事故では、操縦が出来なくなってもなお、機長たちは尽力して、30分以上の飛行に成功している。
成功、なんて言ったら違うかもしれない。だけど、きっとそれは凄いことなんだろう。
今は、その事故も遺族の高齢化が進んでいると聞く。
『俺も一度くらいは行っておきたいが、何しろこの足腰じゃ登れないだろうさ。いつか、理樹君が俺の杖になってくれりゃ、考えるよ』
『そんな、教授はこれからじゃないですか』
それだけ話して、僕はゼミを出た。

 休暇に入ると、かねてからバイトで貯めたお金でチケットを買った。
懐かしい仲間達に逢える、その架け橋を空に作ってくれる、そんなチケットを。
そして。
「あ、あの。
これください…
「あら、いらっしゃいませ、お兄さん最近良く見るけど、彼女さんへのプレゼントかしら?」
「…うぅっ」
面と向かって言われるのは恥ずかしい。
だけどこれだって以前からリサーチしてたんだ。
それは、指輪。
何の飾り気もない、宝石すら乗っていない。ただの銀の指輪。
今の僕には、これが精一杯。欲を張って隣のプラチナとダイヤの指輪にしてみたかったけど、何しろ桁が違う。
ゼロが一つ多いんじゃ、僕は涙を飲んで我慢するしかない。
だけど、この指輪でも十分だと思う。ペアリング。カタチは微妙に違うけど、お互いを認め合うことが出来る指輪。
男性用は逞しい太さで、女性用は控えめの小ささ。
想像すると少し嬉しい。彼女がこの指輪を付けてくれたなら。
そして、僕のために付け続けてくれたら、凄く嬉しい。
ふと、そんな未来予想図を思い浮かべてみる。
この可愛い指輪を付けて、食後のお皿洗いをしているところ。
薬指には、水と蛍光灯に反射して光る指輪。
恥ずかしそうにうつむきながら、それでも僕のために家事をしてくれる可愛い奥さん。
尚早すぎるかもしれないけど、指輪を贈る以上は、そうでありたいと思うのだ。
「…お兄さん、ちょっと、聞いてますか〜?」
「へっ!?」
しかし、次に惚けた状態から醒めると、そこにはジュエリーショップの店員さん。
「話聞いてなかったですね。いまなら指輪の刻印をサービスでしてるんですけど、お兄さん、罰として一文字5万円にしようかしら♪」
「えぇっ!?」
うぅっ。聞いてなかった僕も悪いけど、できたらサービスがいいな。
本当に泣きそうな顔になっていたのだろう。お姉さんもソレを察して、笑いながら言ってくれた。
「冗談ですよ。勿論無料。で、何て書かれますか?」
「…」
少し恥ずかしい。
誰かのために指輪を作るなんて初めてだし、サイズだってあってるか心配だ。
卒業前にそれとなく聞いてみたサイズと変わっていなければいいな、なんて希望してみるけど、もし変わってたら。
それより怖かったのは、彼女が別の人と付き合っていたら、ってことだ。
そんな時にこんな安い指輪を贈られたら、彼女は迷惑するだろう。
独りよがりになりたくない。だから、あっちに到着してみんなに出会えたら、確認しよう。
そして、もう勝ち目がないのなら、捨ててしまえばいい。
そうして、僕はお姉さんに告げる。

「Yuiko、って刻印してください」
「ゆいこさんね。あたしも同じ名前なのよ」
「へぇ」
そうなんだ。と思ってみてみると。
確かに綺麗な人だ。ゆいこって名前の人はみんな一様に美人なのかな。
そんな風に考えているうちに、僕と、ペアの指輪は出来上がる。
『Riki』『Yuiko』。
---待っててね、来ヶ谷さん。
お金を支払うと、僕は外に出た。
太陽はどこまでも暑くて、エアコンと冷たい麦茶が恋しくなる。
なんてことを考えながら、携帯を手にした。かける相手は。


 「久しぶりだね、恭介」
『おう、理樹。元気そうだな。安心したぞ』
相手は、恭介だ。
卒業してしばらくは、来ヶ谷さんや小毬さんとも連絡が取れていた。
だけどある日突然、来ヶ谷さんの携帯が変わってしまったらしく、僕も恭介もついに番号は分からずじまい。
だからたまに恭介とやりとりしながら現状を確認するのだ。東京で大手の新聞社に勤務している恭介は、
相変わらず鈴に甘く、鈴の学費を稼ぐために今日も特ダネ求めて邁進中。
そんな彼を鈴は『うっとい』と学生時代から言っていたけど、今でもそうなのかな。
なんて心配になりながら話していた。そして、帰省の件を告げると。
『お、理樹の凱旋か。こりゃいいや、昔みたいにバカが出来そうだ』
「そうだね、たまにはみんなで飲みたいね。野球もしたいし、したいことがいっぱいだよ」
本当にそうだ。
昔の仲間に逢えるだけでも贅沢なのに、あれもこれもみんなでしたい、とそんな風に思えるのは、
やっぱりあの頃が輝いていたからだろう。卒業の日、一人、また一人と去っていく中で、3年間を反芻しながら、
『またいつか、こんな風に騒ぎたいな』
素直にそう思い、そして。
必ず、迎えにいくと約束をした。世界で一番、大好きな人に。
『おい理樹、聴いてるか?』
「え、あぁうん、ごめん、ぼーっとしてた」
相変わらず悪い癖だ。聞いているフリして聞いてない。
でもやっぱり恭介の声は落ち着く。これからもきっと恭介には逆らえないんだろうな。
そんなことを考えていると、恭介が聞いてきた。
『それはそうと、いつこっちに?』
「え、うん。お盆の…12日だったかなぁ、あ、13日だ。13日のフライトで行くよ」
『飛行機か。いいなぁ。だけどよ、危ないから新幹線とか使ったほうがいいぜ』
危ない、って意味が分からなかった。何となく、冬月教授の顔が浮かんだけど。
「大丈夫だって。それに、空が好きだし。新幹線も脱線したら死ぬでしょ?だったら速いほうで行くよ」
『それならいいけどよ。チケット落としたーとか言われても俺は助けにいけないぞ?』
「期待してないって」
第一そんな初歩的なミス、小毬さんでも犯さないだろう。
そして迎えに来て欲しいという旨を伝え、電話を切った。
「これで、準備OKかな」
後は、下宿先に帰って、荷物をまとめて、当日に備えよう。
そうして僕は、帰路に着いたのだった。


 そして、旅立ちの前日の晩、夢を見た。
『理樹君』
『…』
『期待しないで待ってるぞ』
『…必ず、迎えにいくからね!立派になって、迎えにいくから!』
それは、あのお別れの日の光景だった。
それぞれが、それぞれの道に進む卒業式。
僕らリトルバスターズは、そこでバラバラに、それぞれのベクトルを刻むために歩き出した。
進学するもの、就職するもの、結局決まらず予備校に通うもの。
いろんな筋道、いろんな世界があった。

 真人は自衛隊に入隊した。理由は『国の金で筋トレが、しかも仕事で出来るんだぜ?うまいもんも食えるしよ!』と
短絡的な理由で決めていた。正義の味方に憧れていたし、警察官より競争率が低かったから、なお良かったんだろう。

 謙吾は剣道の推薦で体育大学に進学した。謙吾らしい夢だと思う。

 葉留佳さんは短大。大学を一応は受験していたらしいけど、全部不合格。唯一滑り止めで受けていた短大に受かってしまい、
当初はフリーターも考えたけど、さすがにそれでは…ということで渋々入学を決めたらしい。恭介から聞いた話では、
留年1回で卒業が遅れている、とか。

 鈴は…一浪して真剣に考えて、大学入試を受け、合格した。
みんなに一年遅れての行動だったけど、最後は恭介の後押しがあったらしい。詳しくは聞いてないけど。
でも、僕がいなくて大丈夫だろうか、なんて今でも不安になる。
きっと、ボーイフレンドの一人でも作って、幸せになっているだろう。そう言い聞かせて、恭介に追求することはしなかったけど。

 クドは、一度は故郷に帰ることを決めたらしいけど、いったんそれを白紙撤回して、今はアメリカの有名な大学で
どうやら凄い研究をしているらしい。僕も詳しくは聞いてないし、海外ならなおさら会うことは出来ないだろう。
だけど、信じてる。きっとこのお盆には、帰ってくるんじゃないか、って。

 西園さん、小毬さん、そして来ヶ谷さんはいたって普通に大学に進学。西園さんは詳しく知らないけど、小毬さんと
来ヶ谷さんは同じ大学にいるらしい。きっと、二人で楽しく暮らしているのだろう。
そんな僕は、きっと小毬さんから大事な姉貴分を奪っちゃうんだろう。それはそれでかわいそうに思える。
それでも僕は、退かない。幸せを掴むため、だから。
手に握られた指輪のケースが、それを物語っている。
握ったまま寝るという間抜けを働いて、そして目を覚ましたときには、乗り遅れるか否かくらいの時間だった。
「うわあっ!」
すぐに着替え、そして下宿先のおばさんにいってきますを告げると、荷物を片手に走り出す。
途中50mくらい走ってから、パンツ一枚だったことに気付いて逆戻り。教えてくれなかったおばさん。
どうやら、わざとだったのか、ニコニコしながらズボンを持ってきてくれた。
こんなに、温かい世界が、あるんだ。


 飛行機には、待合室から沖止めされている飛行機にバスで移動した。
ジャンボジェットって本当に大きい。こんな鉄のカタマリが、空を飛んで、僕らを運ぶ。
飛行機に乗るのは、大学進学に伴う引越し以来だから、人生で2回目だ。
だけど、あの時は本当に怖くて、離陸時の加速が本当に気持ち悪くて、何も覚えていなかった。
2回目は少しばかり心の余裕もあるだろう。そう信じて、タラップを駆け上がり、機内に入る。
キャビンアテンダントのお姉さんたちが、笑顔で迎え入れてくれる。うっとりするくらいの美しさ。
…来ヶ谷さんに比べたら、全然だけど。
それくらい彼女は美しかった。
最後に見た姿から変わっていなければ、の話だけど、僕は今一度思い直して自信を取り戻す。
そうだ、来ヶ谷さんが変わるわけないじゃないか、と。
あの人のマイペースぶりは僕が良く知っているし、そのスタイルを他人に合わせて変えるわけがない。
自信を持って、会いに行こう。
それくらい僕は強くなったし、優しくなった。
「おい、アンタ、早く行けよ」
「あ、すみません…」
そしてまたボーっとしていて、後ろから煽られる。
ごめんなさい、と会釈して、そして自分の席に座る。
そこは、通路側。せっかくの青空が見えないけど、これはこれで、時間や距離を感じずに、それこそ
自分のペースで空の旅を楽しめるだろう。そう割り切ると、僕は荷物を上の棚に格納し、そしてベルトをすると、
機内備品の雑誌に目を落とした。
『ウェディングは、ハウステンボスで!』
『出雲大社の初詣』
そんなイベント特集みたいな記事を見ていると、いつか大切な人といっしょにこんなところを旅して、
そして発見して、笑いあいたい。そんなことを思った。
些細なことでも、笑いあえる、そんな関係でありたい。
やがて、機内アナウンスが、それに向けての旅立ちを教えてくれた。



 次に見た光景は、地獄だった。
飛行開始から20分位して、突然飛行機が揺れて、そして、頭の上に酸素マスクが落ちてきた。
昔、ドリフのコントで見たような、あんな光景。
ただ違うのは、ドリフのように笑えるのではなく、本当に飛行機が上下左右に揺れ、気持ち悪くなり、
そして恐怖心が襲ってくることくらいだろうか。
---きっと、死んでしまうんだ。
---いや、飛行機は安全な乗り物だ。今に見ていろ、絶対安定するよ。
周りが囁きだす。
今は安全対策だってしっかりしているし、絶対落ちないだろう。落ちるわけがない。
顔を真っ青にしながら自慢のように語る大人たち。

『ただいま、緊急降下中。ベルトを締めてください、煙草は消してください。ただいま、緊急降下中』
「地上との交信は出来ていますっ!皆様、落ち着いてください!」
こんなときでも、取り乱さないキャビンアテンダントは凄いと思う。
本当にこの飛行機に何が起こったかなんて彼女達にはわからないはずなのに。
それでも、強がって、いや違う。あくまでプロとして、冷静なのだろう。
「怖い怖い怖いぃっ!」
隣に居た女の人が泣いていた。
僕は、ポケットから飴玉を取り出し、差し出す。
「大丈夫、きっと助かりますよ」
「…」
パシッ、その飴玉は弾かれる。
そしてまた怖いを連呼するその人。
…僕だって怖いさ。だけど、僕は泣いちゃいけないんだ。
待っている人がいるから。無事に着いたとき、泣き顔だったら格好悪いじゃないか。
大丈夫、僕は助かる。

 そう信じてはみるが、飛行機は一向に安定しない。
そればかりか、どんどん高度が下がっている。
飛行機のことはまったく分からない僕でも、これだけは分かった。
このまま行けば、失速して、落ちる。
そうすれば、まず確実に僕たちは助からないだろう。そんなとき、目の前の雑誌に、封筒が挟まれていた。
…ウェディング体験フェアの、返送用封筒だ。
こんな状況で未だに彼女に再会して、今度こそ、プロポーズしよう、なんて思っている自分が恥ずかしいし可笑しい。
しかし、人間は危険な状況に立たされると、決まって目の前に紙があったら、書きたくなるのだ。
落書きに似た、悲しい、遺書を。
周りがそうしている。僕もそうすることにする。
未だに希望は捨ててない。今に奇跡的立ち直りで無事に目的地に着けるか、近隣の空港に降りれるだろう。
だがもしそうならなかったときのために。出来たら、遺しておきたかった。
ペンを探すが、そこにはない。
すると、横から白い手が、ペンを差し出してきた。
「…あたしはもう書きましたから。あなたも、書くんでしょ?」
遺書を。
それは、さっき飴玉を弾き飛ばした女性だった。
彼女も決意を決め、そして書いたらしい。確かに、手にはなにやら書かれた紙が握られている。
僕も書きながら、横から彼女の話を聞く。
「あたしね、このフライトで婚約者に会いに行くんです。そして、彼と結婚するの。3年越しの遠距離恋愛が終わるのにね」
「…そう、ですか」
僕もなんです、なんて言えなかった。
第一、好きだと思っているのは僕だけ。彼女は、来ヶ谷さんは僕を好いていてくれるか分からない。
隣の女性は、そんな苦しみや哀しみ、切なさや寂しさを乗り越え、大切な人と結ばれる。とても同格だと思えなかった。
その夢が、こんな鉄のカタマリに潰される。可哀想だ、そう思いながら、僕も遺書を書き続ける。
最後の一行は、本格的に飛行機が揺れ始め、もう、ダメだと思い急いでひらがなで書いた。きっと読めるだろう、そう信じ。
そして、隣の女性の提案で、頑丈な上トランクに二人の手紙を仕舞う。ここなら、飛行機が粉々にならない限り、残るだろう。
周りも真似してそうする。絶対に壊れたり燃えたりしない、そんなところに。
そして、いよいよ絶望のときが迫る。動きがおかしくなり、山に向かう機体。
『俺の息子同然なんだからな』
そう言ってくれた冬月教授に本当に申し訳がない気がする。
ふと、隣の女性が僕の手を握る。
「?」
「…もし、許されるのなら、今度は、こんなところじゃなくて、もっと温かいところで出逢いたいわね」
「…そうですね」
そして、見つめあい、名乗り合う。
「僕も、本当は大切な人に会いに行くんです。絶対に迎えに行くと誓った、愛する人に」
「そう…。きっと、来世で幸せになれるわよ。お互い願いあっていれば」
「ううん。僕は、もう助かりっこないから、だから、彼女には僕以外の人と、素敵な人生を送って欲しい」
「強いのね、理樹くんは」
「…強くなんてないですよ。死んでいく人間に、誰かの幸せを束縛する権利なんて、ないですから」
最期の瞬間、握る手に力が篭る。
「さようなら」
「…さようなら」
そして、衝撃の後、すべての意識が奪われる。
最後は、激痛と同時に、隣に居た人の頭が吹き飛ぶ瞬間が見え、そして。
この世界での、意識を閉じた。


 俺は、空港に居た。
仕事上がりにタクシーを拾い、飛び乗る。世間が盆休みでも俺たちのデスクに休みなんてない。
部長には『休みはやらんぞ!特に棗!お前の記事は面白いと評判だからな。ウチの看板は休ませんぞ!』と
褒めてるのか貶されてるのか良く分からんお言葉をいただき、それを背に走り出す。
「羽田まで頼む!超特急でな!出来たら通常の三倍だ!」
そんな無茶を要求してみるが、途中の渋滞に阻まれ、着いたのは理樹が到着する予定時間の1時間後だった。
「…ふぅ。この辺で待ちぼうけでもしてると思ったんだがな」
到着口の近くの待合ロビー。理樹なら大人しくここに座って、待っていると思っていたんだが、意外にアイツ、
土産でも買いに行ってるんじゃないか。なんて思い始める。
そう言えば東京に居るのに東京土産なんて中々興味を示さないものだ。
そう思って物色を始めると、やけにロビーが騒がしくなる。何事かは分からなかったが、ただ事じゃないようだ。
「…」
まさかな。なんて思いながら東京ばななに手を伸ばすと。
プルルッ、プルルッ。
携帯のバイブが俺の脚を揺らす。ポケットからソレを出すと…部長からだった。
「はい、棗です」
「棗!今すぐ帰社しろ!」
「はぁ?いや、俺は今…」
「飛行機が落ちたんだ!コレは特ダネになる!お前の力が必要なんだ!」
「…」
俺の力、ね。
いいんだ。理樹の便じゃないだろう。
その12時間後、俺は乗客名簿の中に、直枝理樹の名前を見つけることになる。
その意味は。
…生存者は絶望的らしい。飛行機は原形をとどめておらず、生存者は今のところ発見されていない。
…奇跡を起こしたことのある理樹なら、きっと。
そう信じたが、何時間待っても、結局生存者はどこを探しても、出てこなかった。
…。
……。

 たまらず俺は、部長の制止を無視して、現場近くの、検屍施設に向かう。
飛び交う怒号。また遺体が運び込まれるのだろう。そこに、見慣れた顔があった。
「真人っ!」
「お、恭介じゃねぇか!わりぃが今それどころじゃねぇからよ、後でな!おいそっち持てバカ!」
「はっ!」
ヘリコプターから降りてきた屈強な男が、幼なじみだったことに驚いたが、その担架に乗せられているものが
何なのかも何となく分かった。明らかに身体から外れたと思われる腕が、乗せられていたから。
「…」
たまらず、昼飯をヘリポート代わりの校庭に吐瀉してしまう。こんな姿に変わった人が出てくる世界で、真人はよく
精神を壊さずに戦えるものだ。きっとそういう訓練もしているんだろう。冷静に判断できる自分がイヤになった。


 「現場はひでぇもんだぜ。ありゃ誰も助かってない」
「そうか…」
施設のある学校の廊下は、不気味な感じがしていた。そこでたまたま真人に出会った。
すっかり屈強な戦士になった彼にしては珍しく、諦めの言葉が口から出る。
まだ、真人は知らないのだろう。
だから言うことは憚られた。あんまりじゃないか。大切な幼なじみが死んだかもしれないなんて。
だけど俺は信じている。真人だって、きっと俺と同じ気持ちだ。
絶対に、生きていると。
だから腕を掴み、向き直る。
「真人。乗客名簿に……理樹の名前があった」
「……おい、恭介、こういうときによ、冗談はやめようぜ?」
「………俺だって、冗談だって思いてぇよ!だが絶対理樹は生きている!お前が俺なら、きっとそう思うって信じてる」
当たり前だ!そうじゃなきゃオレが出動した意味がねぇ!
真人はそれだけ残して、また呼集に応じ、走り出した。より多くの命を、救うために。
校庭のヘリが爆音を上げる。また現場に向かうのだろう。
乗り込もうとしたが、現場にはすでに別働隊がいる。勝手な行動をして怒られるのがイヤだった。
それ以上に、もしも理樹が本当に死んでいた場合を考えると、それに直面するのがイヤだった。
結局俺はガキなんだ。大事な弟分が死んでいるか、それとも生きているかも分からないのにそれから逃げ回っている。
もしも、だ。
あのバラバラになった機体から理樹が出てきたならば。
生きていても死んでいても、俺は理樹を抱き締めよう。よく帰ってきたと褒めてやろう。
今一度、頬を叩くと走り出す。もしかしたら、身元不明の遺体が集められているところに、理樹がいるかもしれない。
携帯ラジオのイヤホンを耳につける。生存者発見の報が飛び込んできてもいいように。
そして、軽く地獄を思わせる身元不明者安置所に足を踏み入れた。
顔が分からないくらいまだいい。腕や足だけのものもあるのだから。
そんな地獄を、祈りながら駆け抜ける。理樹はいるか?理樹っ!そう叫びながら。


 それは、あっけなく見つかった。
腕一本。そして、手には銀の指輪。
「乗客名簿にリキという名前の人物は彼しかいないからね。この指輪にもRIKIと書いてあった。恐らく、彼『だった』ものだろう」
白衣を着たおっさんが力なくそう告げる。そして。
「手にはこれを握ったまま亡くなったようだ。あと、彼の名前の入った手紙も現場から見つかった。君がご遺族なら、持ち帰って欲しい」
「…」
理樹には家族なんていない。
でも、俺が家族代わりだったんだ。だから。持ってかえるしかない。
真人にはまだ伏せておこうと思った。アイツは事故の最前線で今でも血と泥にまみれながら頑張っている。
そんな彼にこれを告げるには、あまりに残酷すぎたから。
後で知ったことだが、理樹の席は前から真ん中寄りだったため、その周辺の遺体は殆どこんな感じで、消滅した部位も多いらしい。
五体満足な遺体などない。逆に、こんな小さな銀色の輪で身元が判明しただけ、理樹は幸運だった。
俺は理樹『だった』手から指輪を外すと、そのまま、そこを後にした。途中で倒れ、病院に送られる。
そして暫く療養を命ぜられた。

 今思えば、鈴という守るべきものがなかったら、俺は理樹の死を受け入れられず、そのままゆりかごの中に篭って、
そして死を選んだかもしれない。だが俺には鈴の学費を稼ぎ、鈴の世話をし、そして理樹の分まで生きるという使命があった。
部長が心配してくれたが、俺は笑顔で通した。職場のみんなも、それとなく分かってくれたのだろう。
だから、事故から8ヶ月くらいした春のある日、あんな能天気な電話を寄越した来ヶ谷が許せなかった。
何が『冗談はよせ』だ!
理樹はお前を最期まで想って、それでもその願いが叶わないまま死んでいったというのに。
なんでお前はそれを分かってやらないんだ!俺の怒りが頂点に達した。
それくらい、それくらい俺はうらやましかったんだ。
理樹の遺品の手紙。どれだけ読んでも、どこを逆さ読みしても、斜め読みしても。
来ヶ谷のことしか書いてない。それ以上に長い時間をともにした俺のことは何も書いてない。
だから、その次の日曜日に、来ヶ谷を呼び出した。そして、理樹の遺品を全て渡す。
俺が持っていても、もう意味のないものだから。


 新聞を書いていると、いつも想う。
意味もなく人を殺した少年が逮捕される。犯行動機は『ゲームみたいなことがしたかったから』。
女子高生に売春をさせていた奴らが捕まる。『資金源にちょうど良かったから』。
横領をしていた政治家が摘発される。それでもそいつは『やってない』と言い張る。
何がゲームだ、何がカネだ。
結局、自分の欲望を満たすため、それだけの理由で人を殺せるドライな人間しかいないんだ、もう。
そんな奴が生きるために、理樹は犠牲になった、そんな風には想いたくなかった。
そんな世界から早く脱出できた理樹は、きっと幸せなんだろう。
いや、違う。
来ヶ谷に会いたくて、来ヶ谷と一緒になりたくて。
だけどそれが叶わなかったんだ。それなら、きっと。
『なぁ来ヶ谷。俺とお前もそろそろいい歳だしさ、俺たち、その』
『恭介氏。それは正気で言っているのか?私は直枝だ。死んだ人間と入籍できなくても、心は直枝のままだ』
事故の後も何度か会っていたが、来ヶ谷は俺と男女の関係にはなってくれなかった。
そして、プロポーズすらも拒絶した。
「心は直枝…か」
メンソールの煙草が喉に痛い。
屋上で吸う煙草は格別だ。この街を、摩天楼の大都会を足元にしながら、まるで神のように振舞える。
「…」
だがもう、俺は休んでいいのかもしれない。
鈴も無事大学を卒業させた。もうこれで、庇護するものはなくなった。
今なら、ここから飛んでも、許されるだろう。
しかし、ここで中途半端なままに死ぬことを、俺の本能が許さなかった。
「俺が生きなきゃ、誰が理樹の墓に花飾ってやるんだよ」
俺は生き続けなきゃならない。強制されるわけでもなく。
お節介なだけなんだ。それだけ、誰よりも理樹が大好きなんだ。
「…もう一本、吸うかなぁ」
胸ポケットから出した煙草は、もう箱だけ。中身などなし。
「…」
摩天楼めがけて、それを投げ捨てる。
どす黒い欲望の海を、漂白の箱は漂いながら流れていく。
やがて、その先に理樹が居るのだろう。俺は目を閉じて、夏の香りを吸い込む。
今日は理樹の命日。いつもより余分の休憩時間を貰った俺は、まだ身体に残っていた煙を全部吐き出すと、
そのまま階段を下りた。

(終わり)


あとがき


最初にお断りしておきます。
これは一つの悲しみの墓標です。故に唯湖の名前は出てきますが、唯湖に台詞はありません。

『陽のあたる坂道』の理樹サイド、いかがでしたか?
個人的にはこんなグロい表現とか書きたくなかった。
だけど、書かなきゃいけないと想った。なんとなく、薄っぺらいままで終わらせたくなかった。

BGMは『おやすみのうた』、初音ミクです。
ちょうどクライマーズハイのDVDが発売され、航空事故の悲惨さや、現場で戦った多くの方々の苦労が
うかがい知れるチャンスだと想います。

今回は前半を理樹視点、後半を恭介視点で分けてみました。そして次回のSSでは、理樹君がバカになって
大活躍する、明るいSSを書きたいな、と想います。あくまでこの作品は、陽のあたる坂道のおまけなのですから。
だけど、忘れないで下さい。有史以来多くの人々が空に憧れ、空を飛び、そして空で、もしくは叩きつけられた陸で亡くなったと。
では、次は明るいSSで会いましょう。相坂でした。

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