流した血の量に比例して、俺は強くなっていくことが出来るのだろうか。
例えば明日、大事な仲間達を守るために俺が犠牲になったとして、彼らはいつまでも、
俺を忘れず、俺のことを信じて生きてくれるだろうか。
手に握る竹刀は、それを教えてはくれない。
だとしたら、俺はどうしたらいい。教えてくれ。今は亡き盟友よ。


何気にアンニュイな謙吾っちSS『切先』


 線香が臭い。
元々嫌いな香りではないにしても、特別進んで嗅ぎたいとは思わないにおいだ。
その独特で、どことなくノスタルジックな香りをまとうと、どうしても、幼少の頃の俺を思い出してならない。
剣の道に明け暮れ、ひたすら強くなることだけを叩き込まれた、あの頃。
もしもあの頃の俺が恭介たちに出会わなかったなら。
恭介たちが、俺にこんな世界のあり方を示してくれなかったら。
「そんなこと、言われなくてもあの事故で十分承知したはずだ」
あまりの非力さ。操縦の効かなくなった鉄のカタマリが、崖下に落ちるとき。
俺は何も出来ず、ただ鈴を庇った。
そして俺の時間は永久に失われたはずなのに。
誰よりも、完治は遅かった。だが、誰よりも確かに動けた。戦えた。
目を開けた瞬間、生きていることにただ感謝した。理樹と鈴に、飽くなき賞賛を心の中で送った。
だというのに。俺だけが『目覚めても』何も意味がないと言うのに。

『古式家代々之墓』

 緑青の微かなる墓標は、無機質で、手入れはされているけれど、手を触れることを拒むようなオーラを放っていた。
目覚めたとき。俺は確かにあの時あの世界で古式を救えたはずなのに。
既に彼女がこの世にないことを知らなかった。無理もない。あの無限ループの世界だ。
何度も同じように古式を救っていれば、彼女が生きていると錯覚しても何らの不思議はない。
退院してすぐ。俺は恭介たちと旅行に行った。
完全に復活したリトルバスターズの仲間達。俺たちだけの修学旅行。
その席、野郎だけの部屋で俺は無頓着にも言ってしまったんだ。
『古式にも、この風景、見せてやりたいものだ』。
途端に、理樹の顔色が変わるのに気付いた。
『謙吾…』
真人と恭介は腕相撲に興じていて、まったく気付いていなかった。
あの真人が一本勝ちするように見えて、意外にそうはいかない。恭介が姑息な手段を使って翻弄するからだ。
だから、そんな風景を見ながら微笑む理樹の顔がすぐに暗くなることを、俺は見逃さなかった。
『ん?どうした理樹』
『…うん。いつか、きっと叶うよ。その願い』
『あぁ、叶えて見せるさ!』
俺は、とてもバカで、とても救いようのない男だった。


 その後学校に戻った俺は、古式を探して回る。
リハビリをして、また弓の道に戻って、そして。
俺はそういう感情に無頓着だったが、あの世界を乗り越えた今だから言える。
きっと、俺は古式とそういった関係になりたかったのだろう。
同じ境遇から生まれる愛もある。そして俺は隻眼の彼女を守っていく。何があっても、この命に代えても。
卒業したらすぐにプロポーズしようとか、今のうちにご両親に会っておこうとか、そんなことまで考えていた。
結婚して、子どもが生まれたら、どちらの流派を継がせるのか、など他愛ないことでいちいち悶絶していた。
我ながら、恥ずかしい。そして、それがどれだけ救いのない無駄なことか、ということも知らず。
…古式は、目覚めたとき、もうこの世の人ではなかったのだから。

 初恋は叶わないんだ、と神北が言っていた。
それはきっと理樹と鈴を見て、素直にそう思ったのだろう。
そして神北が最初に惚れた男は、理樹だったのだろう。
だとしたら俺は理樹がうらやましい。こんなにもたくさんの女に愛されている、そして鈴という最高のパートナーがいる。
二人のこれからにはあらゆる困難が付きまとうだろう。しかしすべてを乗り越えた二人の勇気があれば、大抵のことは
きっとやってのけられるはずだ。
だが俺の初恋はあっさりと終わった。
何も告げられず、何もしてやれず。
だから俺はあの世界で、古式を守るという、叶わなかった夢を果たそうとしたのだろう。
後悔の涙を、流さないように。
最初から諦めていたんだ。もう助かりはしないと。
それならば、出来なかったこと、後悔したことを解き放ちたい。その顛末がこれだ。
「…」
思い出が強すぎて、もう、苦しいんだ。


 「竹刀を握っていないキミには初めて会うな」
「…来ヶ谷」
何故か、後ろに人が居た。気配に気付いて振り返ったときは、もう既に俺の射程内。
「いつもの謙吾少年らしくないな。いつもな振り返りざま抜刀して切りかかるくらいのキレとシニカルさを持ち合わせているはずなのに」
「…冷やかしなら帰れ。俺は今貴様と話す気は毛頭ない」
「…ふむ」
そして、目を閉じる来ヶ谷。きっと目の前の墓標に黙祷でもしているつもりなのだろう。
「珍しく花なんかぶら下げて外出するキミを見たから、興味本位で付いてきたが、なるほどな」
「…」
興味本位で来るところでもない。
コイツは頭がおかしいのだろうか。そんなの最初から分かりきったことではあるが。
たまらず、声を荒げる。
「墓所を何だと思っている!お前には死者を弔うという気持ちなど微塵もないのか!?」
「…」
何を、当たり前のことを?
目がそう語りかける。これ以上の来ヶ谷との対話は無意味だろう。俺は察した。
「墓など飾りさ。その下に眠っている骨壷も、魂が抜けた傀儡のフレームが入っているだけさ」
「貴様っ!」
古式を愚弄されている気がした。だが今手元に竹刀はない。
あったとして、俺はきっと、コイツを。
だが、来ヶ谷はそのまま、続けた。
「どこかの歌手が歌っていただろう?千の風になって空を吹き渡っている。だから墓には誰も眠っていない、と」
「…」
「死者を弔うとき、遺品や遺骨に固執するのは、日本人だけと聞く。素晴らしい習慣かもしれない。だが」
見上げる空は、どこまでも高く青い。彼岸花が、香りを放つ風。
「死んだ人間も、死んだ後まで存在した価値や意義にこだわられても迷惑だと思うのだよ。私はな」
「来ヶ谷…」
相変わらず、コイツの言いたいことは分からない。
何を考えているか分からないが、一つだけ言えることは。
「お前なりの慰めか?」
「…まぁ、な。仲間じゃないか。私たちは」
「…」
その答えが返ってくると信じていた自分がいる。
そうだ。仲間だ。
仲間意識。それは、生きていても、死んでいても、きっと変わらないもの。
「古式女史の死を知って凹んだキミも、そして、それをバネに強くなる可能性を秘めたキミも、全て価値あるものさ」
「あぁ」
「そしてキミはあの夢の世界で、確かに何度も古式女史を救った。それだけで大殊勲じゃないか。彼女とて幸せだったはずだ」
まぁ、私にはそういうのがあまり分からないが、な。
付け加えながら、ポケットから小さな袋を取り出す。
中には、金平糖。
「謙吾少年を尾行していたら小毬君に会ってな。キミが持っている花から大体のことは察したのだろう。これをくれたんだ」
「…」
「甘いものが嫌いな女の子は、いませんってね。何のことかさっぱりだったが」
なるほど、神北のほうが理解がある。
今度礼を言わねば。可愛らしい金平糖を見ながらそう思っていると。
「…それで謙吾君、キミはなぜ今日に限って竹刀を持っていないんだ?」
「…」
どうやら、それは来ヶ谷にも意外だったのだろう。
「…古式に見せたくなかったんだ」
「…血の付いた、竹刀をか?」
「…っ」

 古式の死を知ってから、俺は尚更剣術に打ち込んだ。
裏庭の木を相手に、手の皮が剥け、そして竹刀の柄が血に染まるくらい、打ち込んだ。
見せたくなかったんだ。古式に心配をかけそうで。
何度も塚だけ張り替えようと思ったが、それは叶わず。
それをしたら逆に古式を忘れてしまいそうで。
前にも進めず、後にも退けず。
中途半端が一番良くないのにな。我ながららしくないことをしている。
「…来ヶ谷」
「ん」
「流した血の量に比例して、人は強くなれるのだろうか」
「難しい質問だな」
来ヶ谷に難しいのであれば、俺にはもっと難しいだろう。
きっと、それは死ぬ間際に自分を振り返らないと分からない質問なのだろう。
どんなに頑張っても、今流した血が意味を成すのは、もっと後のはずだから。
「だが謙吾少年が得たのは、手と心の傷だけではあるまい?」
「…」
それ以外に、何を?
振り返ると、そこには。


 「謙吾、行くなら僕も誘ってよ」
「まったくだ。身勝手なやつだ」
「…理樹、鈴」
二人だ。
そして、その手には。
竹刀。
それも、真新しく、そして、まだ柄が汚れていない、無垢なる竹の剣。
「鈴と僕からのプレゼント」
「…なぜ?」
なぜと問いたくなるものだ。頼んでもいないのに、そんなこと。
答えは案外あっさりとしていた。
「謙吾が竹刀を血で汚してまで頑張ってるの、見てて悲しかったんだ」
「…お前が痛いわけでもないだろう?」
強くなったとはいえ、相変わらず子どものような発想だ。
たが子どもっぽいのは俺も同じなのだろう。やせ我慢して、無理してそこに居直ることが。
「謙吾君、キミには仲間が居る。そして、支えてくれる何かがある」
「それならなおのこと、竹刀をキミの紅い涙で染めてまで、懸命に生きることはあるまい?」
「…」
そうだな。来ヶ谷のいう通りかもしれない。
無理に自分に嘘をついて生きるのはもう辞めよう。
無理することはないし、そこに伏していつまでも立ち止まっている必要はないだろう。
受け取る竹刀はとても軽く、手になじむ。まるで、昔から知っているかのように。
「しかしこれは女子用だな。寸が多少違うし、握りの部分も多少…っ」
刹那の慟哭。

 刻印は『古式』。
「古式さんのご実家に貰いに行ってたんだ」
「…」
「亡くなる少し前、不意に竹刀を作ってもらったんだって。きっと、謙吾に憧れていたんだと思う」
どんな時でも、立ち向かう俺に。
理樹は確かにそう言った。そして。
「少なくとも謙吾は古式さんの何かになれていたんだよ。じゃなきゃ絶対手にしないはずだよ。竹刀を」
「理樹…」
俺は、結局気付けなかった。
古式も、俺のことを、多少なり理解してくれていたこと。好いていてくれたこと。
「急に押しかけちゃったからビックリされたけど、今度、遊びに来て欲しいって。色々話したいこともあるらしいよ」
「…とんだお節介だな、理樹は」
「いいよ。僕は謙吾や恭介に強くしてもらった。だから、恩返しをする番なんだ、きっとね」
理樹は、本当に強くなった。
なら、俺もまだまだ、強くなれるはずだ。
今一度竹刀を握ると、腰に差す。
「古式とは、きっとどこかで会えると信じている」
「うん。会えるよ、きっと」

 いつか会えると信じているから、俺は線香が臭く感じる。
線香の匂いなんて、頼まれても好きにはなるまい。
そんな俺を、彼岸花は笑う。背を向け歩き出す。もう、ここには二度と戻るまい。
ゆりかごの思い出より、この先に待つ、古式との再会のために。


ヒガンバナの花言葉:『悲しい思い出』『また逢える日を楽しみに』

(終わり)


あとがき

寝る前一時間で書いたので相当支離滅裂です。
殴り書き同然です。ってことで読み流してください。
来ヶ谷が出てきた意味が分かりません。てか後半ほぼ空気じゃないですか。と突っ込まれそうで怖いです。
ただ理樹がしたことは無頓着な反面いい意味で強くなったなぁ、なんて。
では、また加筆修正するかも。相坂でした。

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