たぶん、初めて好きになった男の子。
そしてたぶん、誰よりも痛みを知っている男の子。
お節介だと思われても、面倒な子だと思われても構わない。
ただ、笑顔を作ってあげたいから。
だから、わたしは。


閑話休題『星間飛行 -We are shootin' stars-』


 「今日は、よく晴れてるね」
「…帰りたいんだけど」
ある日の放課後。
何気なく廊下を歩いていたシンは、どことなく間の抜けた、独特の抑揚ある声に呼び止められた。
『シンく〜ん!』
『…』
まただ。また来た。
シンはその声の主が誰であるかすぐに分かったし、出来たら今日は関わりたくないと思った。
相手は、いうまでも無く、小毬だった。
『シンく〜ん、逃げないでよ〜ぉ』
『…』
無視だ無視。と無視を決め込むことにする。
もちろん、この程度で彼女が諦めるなんて到底考えられない。それはシンも承知の上だ。
ならばこそ、と逃げ足を少しばかり早くしてみるが、今日は彼女の追撃が中々やまない。
『シンく〜ん』
『…』
流石に息切れしそうなくらい動き回っているが、相当しぶとい。
逢いたくない日、話したくない日に限って、こういうことは起こるものだ。


 季節は残暑厳しい9月を終え、10月に入ったある日のこと。
『恋人でも、二号さんでも、何でもいいんです。私と付き合ってください』
『…困るよ』
それでも、一方的に託された手紙。
保坂が自殺し、そして森が豚箱送り、森と関係を持った多くの生徒が停学や休校、自主退学したクラスは
非常に寂しく、そしてある種の安らぎすら与えてくれた。
副担任が担任に昇格し、そしてシンたちを導く。が、問題はその副担任だった。
新しい担任…島津香苗に、告白されたのだ。
香苗は去年学園に着任し、そして今年から森の下で副担任を務めていた。
来ヶ谷情報では少なくとも知能指数は来ヶ谷並み。そのため森の毒牙を尽く撃退し、持ち前の人当たりのよさで
生徒からも同僚からも人気の女性教諭だ。
そんな彼女がシンに惚れた経緯は、手紙に全て書いてあった。
裏庭の寂れたところで、その手紙を読む。

『飛鳥くんのことは、転入当初から見ていました。
 そして、どこか懐かしいあなたに、年甲斐もなく、何か温かいものを感じてしまいました。
 自分でも、この気持ちが何なのか、分かっているつもりです。
 ついては、今度、お互いのことを深く語り合いませんか?』

 …まただ。
また、大人の身勝手な感情に振り回されている。
シンは言い知れぬ憎悪を覚え、手紙を破ろうと…。
「ふむ。島津教諭と言えばやんごとなき名家の生まれだからな」
手紙は、既に手元になく。
「…来ヶ谷ぁっ!」
来ヶ谷がいつのまにか掻っ攫っていた。
「うむ。来ヶ谷ちゃんだ。手紙は預かったぞ」
「誰も預けてないっ!」
「固いことを言うな。いいじゃないか。他人の不幸は蜜の味だ」
「アンタって人はぁっ!」
果たして、不幸かどうかは分からないけど。
少なくとも、一般的男子生徒からみたら、羨望の的である香苗に、しかも直接告白されただけでも、
相当な名誉に感じなければならないという不文律がありそうだ。
「ボン・キュッ・ボンでしかも才女、これは将来は期待できるな。優秀な子どもが出来るだろう。種はいささか救いが無いが」
「よくわかんないけど喧嘩売られてるってのは分かった。殴っていいか?」
拳を握る。が、来ヶ谷に勝てるわけが無い、と半ば諦めて彼女の見解を聞くことにする。
「シン君は年上は嫌いか?」
「…」
恋愛感情は別としても、別段年上が嫌いというわけではない。
むしろ年下や同い年に比べれば、経験もあり、そして包容力もある。
そのあたりから年上に憧れる人間の感情は分からなくもない。もちろん、そこから恋愛、と聞かれたらシンには分からないが。
ただ、シンが気に入らないこと、それは。
「大人の事情で、一方的に手紙を突きつけられて、いい気持ちはしないよ」
「…ふむ。大人の事情、か」
「…なんだよ」
シンの言葉に多少生返事の来ヶ谷が、一言。
「あながち外れではないかもな。大人の事情か。ふふっ。面白くなりそうだ」
「…」
相変わらず度し難い来ヶ谷の心。
そんな彼女は、いつの間にか校舎の中に居た。
「…アイツ足速いな」
シンも、それだけは認めてしまったが。
「…やばい、手紙が」
イタズラ好きの黒い雌豹に奪われたままだったことに気付き、絶望。
「…どうなっても知らないからな、オレ」
言い聞かせる。自分に言っても仕方ないのに。


 そして結果、何故か小毬に追い掛け回され、今に至る。
「今日はいい天気なのです」
「…オレの話聞く気ないだろ」
「お菓子も美味しいし、幸せだよ〜」
「…」
一発ぶん殴って帰るほうが、次回以降付きまとわれなくて済むのだろうか。
なんて邪なことを考えて、その後の報復を予想し、セルフ却下する。
もとより、流石のシンでも迷惑とはいえ悪意の無い優しさで近づいてきている事くらい分かっていた。
だから、逆に邪険に出来ない。小毬自身にその自覚があるかは些か不明だけども。
「で、何がしたいんだよ」
「ふぇ?」
前言撤回。何も考えてなかった。
「何って、シンくんと一緒にいたいだけだよ〜?」
「…」
平凡な男なら狂喜乱舞してしかるべきところも、シンにとっては今は。
「オレは、今日は帰って寝たい」
「…う〜ん、明るいうちはお日様の光を浴びないと、目が溶けちゃって退化しちゃうんだよ〜?」
「むしろこの太陽で目が溶けそうなんだけど」
天高く、馬肥ゆる秋。
空は果てしなく高く、降り注ぐ太陽は、どこまでも暑い。
しかし秋風がそれを優しくオブラートに包み、辛うじて心地よさを保っていられる季節だ。
そんな季節の屋上の、妙な空間。
流石のシンもそろそろ限界。何せ今まで意識していなかったとはいえ、女の子と二人きりだ。
「オレ、帰る」
「…」
半袖から長袖に変わったワイシャツの袖を掴まれる。
「…」
「離せよ」
ただし、その離せよは、以前とは若干ニュアンスが異なっていた。
以前は、不可侵領域に干渉するな、という無言の抗議。
今は、どこか甘える子犬のような柔らかさが少し含まれた、無言の抗議。
それを素直に感じ取った小毬が、一つのことを提案する。
「それなら、今日夜にここに集合ね」
「へ?」
何の前振りも、前置きも無い突然の提案。
ポカンと口を開けたままのシンに、続ける小毬。
「今日ね、流星群が見れるんだって。わたし、見たこと無いから」
一緒に見たいな。一人は怖いな。
…完全なおねだりモードだった。当然シンは渋る。
「イヤだって言ったら?」
「…」
わたしの知ってるシンくんは、そんな意地悪言わないよね?
いつもの目線攻撃だが、既に飽和状態のシンには効かない。
「大体部屋からも見れるだろ。ここに来る理由がない」
「…このあたりで一番高い建物なんだよ?」
市街地まで足を伸ばせばそこそこの高さのデパートなんかがある。
だがこの自然に囲まれたのどかな場所で一番高いのは、この校舎だ。
小毬がこの場所を天体観測に選ぶ理由も頷ける。
侵入方法は小毬と限られたごく一部の人間しか知らない。つまりは。
「誰にも話してないから、シンくんとわたしで、星空二人占め、なのです」
「…」
より一層抵抗するシン。
「お、オレは行かないからな!大体この歳になって天体観測なんて、夏休みの宿題かよ!」
「そのつもりはないけど、でも綺麗なんだよ〜?」
綺麗という理由だけで巻き添えになることはない。シンの脆い抵抗は続く。
「だ、大体、何でオレなんだよ!他にも居るだろ、コンビニとか、来ヶ谷とか!」
「ん〜。何でって、理由は無いよ。ただ」
にっこり。
「星空を一緒に見たい、そう思えたのが、シンくんだけだった、ってことだよ」
「…」
罪悪感の無い、優しい瞳。
その無邪気な優しさに、シンも折れるしかなかった。


 かくして夜を迎える。
シンは当初屋上に向かうことを多少躊躇したが、どちらにせよ、無視してただで済むとは思っていなかったし、
何より、小毬があれほど楽しみにしているイベントにわざわざ水を差してリトルバスターズの女性陣から
攻撃されることを良しと思わなかった部分もある。
背中のバッグには、さすがに手ぶらではアレだと思い、小毬が大好きな店のワッフル。
そしてコーラなどの飲み物系。あと、天体観測にお約束の星座早見盤。何故か部屋の机の中に入っていた。
前の寮生が置いていったものにしては、高校生なのに使うわけが無いという疑問もあったが、一応持っていくことにして、
それをバッグの中に詰め込んだ。
あとは、懐中電灯など、お約束のものばかり。
ロマンなんて最初からシンに求めてはいけないが、ちっとも色気を感じさせない、そんなアイテムたち。
それらを携え、夜の校舎を闊歩する。
目指すは、屋上。恐らくもう小毬が準備をして待っているに違いないから。
「…」
不気味な、物悲しい雰囲気の校舎。
怖い写真でも貼ってあればさまになったかもしれないが、その場合小毬が大泣きしてかなり危険なことになりそうだ。
それが案外簡単に想像できて、少し可笑しい。
そんな不思議な夜になりそうな、期待を抱きながら歩く道の途中で、足が止まる。
「飛鳥くん」
「…アンタ」
立ちふさがっていたのは、香苗だった。
「私が今日当直と知っていて来てくれたのなら、凄く、嬉しいわ」
「…んなワケないだろ。オレだって嫌々だよ。忘れ物を取りに来ただけさ」
「…まぁ、強がって。本当なのかしら」
不敵な笑み。背筋に走る嫌な寒気。
案の定、彼女は口走った。
「さっき二年の神北さんとも会ったのよ、ここで。とても嬉しそうだったし、とりあえず見逃したけど」
最近のあなたと神北さんの話は、学園内でも有名だから。
その言葉の節々に、あなたの行動はもうお見通し、というメッセージが隠れているようで仕方なかった。
現に、彼女は。
「だから、あなたが現れるというのも予測していたの。だって、こんな夜にあの怖がりでドジっ娘な神北さんが一人で来るわけが無いもの」
そういって、次の瞬間。
香苗は、スーツの胸を肌蹴させ、スカートを捲り上げた。
そこからは、扇情的な光沢感のある白のブラと、そして白磁のような柔肌が露になり、スカートの下の下半身は。
「パンティ、もう脱いできたの。あなたに抱かれたい一心で。既成事実を作ってしまえば、こっちの勝ちだもの」
パンストの下は、もう何もつけていない。それが薄暗い校舎に差し込む外の光で内股がテカテカと光る。
「ほら、好きにして、いいのよ?何なら、孕ませたって構わない。今日危ない日だから」
いいながら、詰め寄る香苗。女の武器を完膚なきまでに発揮し、畳み掛ける。
逃げようとしても、身体が動かない。圧倒的なプレッシャー。見てはいけないとどんなに言い聞かせても、
勝手に目が行ってしまう。大人の芳香を放つ、淫靡なカラダへ。
後ろは壁。迫る肉体。
「ほら、一つに、なりましょう?」
諦める。動かない身体に何を言っても、無駄だというのなら。


 「ほう、身体を使って迫るとは、名家の御令嬢らしくないな、島津教諭」
「!!!」
余裕の、勝ち誇った笑みが一転、驚きと畏怖の顔に変わる。振り返るとそこには。
「相変わらず嫌なタイミングで来るな、とか思ったな、シン少年。済まないが危険を察知して後をつけてきた」
「来ヶ谷さん…あなた…」
服の乱れを正す。そして今一度来ヶ谷に向き直る香苗。
正したのは、森と同じように何らかの形で追い詰められないためなのだろうか。
「変態淫行教師の森とは違うベクトルの変態だな。だがまぁ仕方ない。シン少年のルックスを考えれば、惚れるのも分かる」
「…そうでしょ?ならなおのこと私たちのことは放っておいてくれないかしら?10ヵ月後には赤ちゃんを一番に抱っこさせてあげるから」
緊張した顔がたちまち元の勝ち誇った笑みに戻る。来ヶ谷の読みが外れたとでもいいたいのだろうか。
もちろん、来ヶ谷がどんな性格か、シンは分かっていたから、あえて何も言わなかった。
少なくとも、来ヶ谷は…笑っていた。それも、悪魔のような笑みで。
「ただそれが本当は他の男子生徒でもよかった、とすれば話は別だろう?全ては家庭の事情のために」
「っ!!!」
やはり、来ヶ谷はいざというときに頼りになる。既に敵の手の内を見破っていた。
「やんごとなき名家の島津家も、今や分家たる香苗君の実家は没落。しかし名家の血筋を保ちたい一心で両親から政略結婚させられる」
まぁ、下手な三流のドラマのほうがまだ面白いな、と吐き捨てる。
「で、結婚したくない、自分の倍以上の年齢の男のナニをナニしたくないからと、獲物を探していたら、シン君に遭遇したわけだ」
「…その推理には落とし穴があるわ。第一、誰でも良かったのなら飛鳥くんよりも気弱で『はい』としか言わない人間を選ぶはずよ?」
そして素面で付け加える。私は本気で飛鳥くんのことを愛している、と。
だがそんなものは来ヶ谷には通じない。裏の裏は表。すでに裏づけは終わった後だった。
「まぁコレはシン君の前で言うべきことではないな。シン君、先に行ってくれ」
「え、でも」
「いいから速く行けファッキン小僧。私の気が変わって二人がかりでキミの精を吸い尽くさないうちにな」
「…」
よく分からないけど、とその場を走り去るシン。そして二人きりになったあとで。
「やれやれ、初めは驚いたよ。まさか」
「島津教諭が…だったとはな」
「っ」
シンには聞こえないところで、シンの物語が、進んでいた。
わざわざ、シンの前で一芝居打ってまで。


 遅れて屋上にたどり着くと、小毬はいなかった。
確かに窓は開けられていたが、しかし。
「…」
寒くて帰ったのだろうか。
まだ少し温かいが、これから寒くなる秋の夜だ、きっと小毬は…。
「シンくん」
「っ」
振り返る。するとそこには。

 天使が、いた。
小毬の無邪気さを表すような、純白のドレスと、ロングの手袋。
僅かながら化粧をしているのだろう、唇には、優しい紅が載っていた。
「待ってたよ、シンくん」
「…アンタ、その格好…」
恥ずかしくないのか、と言いたくなって、そして踏みとどまる。
「シンくん、似合う、かな?」
「…」
とても、とても、似合っていたから。


 「あら、こんな遅くにどこに行きますの?」
「あ、さーちゃん、ちょっと出てくるよー」
部屋を出る前、外から戻ってきた佐々美とドアの前で出くわす。
無論ルームメイトなのだから、行き先ぐらい告げてもいいものだが、時間が時間だけに、言うのは憚られた。
ヘンな詮索をする人間じゃないことは小毬も先刻承知だ、それ以上に、心配をかけたくなかった。
すると佐々美は呆れて、小毬をもう一度部屋に引きずり込む。
「ふぇぁっ、さ、さーちゃん?」
「…そんなラフな格好で、呼び出した殿方に失礼だと思いませんの?」
「えっ」
そして彼女を化粧台の前に座らせ、今一度問いただす佐々美。
「…飛鳥様と会うのでしょう?」
「…うん」
見破られていたのなら、と正直に頷くと。
「なら、少しは着飾って行かれたらどうです?いい機会ですし、わたくしもてこ入れして差し上げますわ」
急に、嬉しそうな顔になった佐々美が始めたこと、それは。


 「で、ドレスを」
「うん…」
精一杯の正装。精一杯の化粧。
佐々美も流星群のことは新聞で見ていたらしく、叶うなら、と謙吾を呼び出そうとしていたが、
まんまと会えないまま一日が終わっていたらしい。
その思いを小毬に託したのだろう、彼女に向けて佐々美が放った言葉は。
『お幸せに』
気が早いその言葉を脳内で反芻していると、小毬の手が差し出される。
「踊ろう?」
「…」
「ほら」
「…」
差し出される手に、そのまま手を差し伸べる。
初々しさから手が電流を受けたように一瞬離れ、そしてまた気を取り直してもう一度手を伸ばし、触れる。
「…」
「…」
そして、見詰め合うだけで、これまでの悲しかったこと、孤独感、絶望。
そういったものが、小毬の笑顔で砕け散るのを感じた。
「ん」
「うん♪」
オレは、わたしは、あなたが、好きです。
口には出さなくても、伝わる優しさ。
すっかり更けた空には、真珠のような、柔らかい光を放つ無数の星たち。
それらが少しずつ座標を変え、そして、動き出す頃。
星が、一つ、また一つと流れ始めた。
それらはやがて雨のように線を引き、地平のかなたに吸い込まれていく。
「綺麗…」
「…」
幻想的で、宇宙的なその姿。
ふいに、小毬が祈り始める。流星に祈りを捧げているのだろう。
これだけの数があれば、いくつも叶いそうだ。ワッフルをたくさん食べたいとか、全世界の人々が平和に生きられますように、とか。
だが、少なくとも彼女の考えが読み取れる。彼女が祈っているのは、そんな大それたことでも、小さなことでもない、と。
星に願い、勇気を貰えば叶えられる、そんな幸せの魔法。
芥子粒の星たちの命が消え、また落ちていく姿。
今一度手を握りなおす。今度は、自分からエスコートして。
「シンくん?」
「踊ろう」
「…うんっ♪」
誰も居ない、二人だけの舞踏会。
星は確かに語りかける。お幸せに、と。
これから訪れる過酷に、目をそむけずに歩いていけ、と。

その晩、別れた後自室に戻った小毬は、夢を見た。
流星にまたがって、シンの心に、シンの上にダイブする夢。
シンは夢の中でも温かくて、そして。
どこか、遠くを見ている、そんな感じがした。
(つづく)


あとがき

閑話休題の後、Episode:Shin に入っていきます。
同エピソードでは、シンを蝕む悪魔の正体と、それを支えて行く小毬。
そしてシンの家族を殺した犯人の追求まで進む予定です。
コレが終われば最終章。シンの戦いが終わるときです。
そんな感じの三部構成でお送りします。
ってことで、寝ます。相坂でした。

…補足すると、島津先生のご実家が没落した、というのは来ヶ谷の演技です。
本当は、シンが真実を知るには速すぎたから、とそんな一芝居をしてシンを追い払ってます。

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