ねじ伏せようと襲い掛かる腕は、誰の為にあるのだろうか。
冷静に考えている暇など無かった。ただ、負ける気はしなかった。
オレにはもう、敗北は許されないのだから。
敗北は、居場所という、最後の守るべきものを奪ってしまうのだから。


第2話 『月に穴穿つ者 -Breaker's Smile-』

 真人の太く逞しい凶器の腕は、シンの顔面を確かに捉えたように見えた。
周辺にいた誰もが、シンの敗北を予測し、あるものは飛び散る血に備え手で顔を覆い隠す。
願わくば、そんな凄惨なシーンを見なくても済むように、と。
だが、現実として真人がぶち抜いたのは、シンの顔面ではなく、壁だった。
「遅いんだよ、アンタ。大技じゃオレは倒せない」
同じ世代の男子に比べれば、多少小柄なシンだが、そこから生まれる瞬発力と回避率は、すでに
真人だけでなく周囲の予想を遥かに上回っていた。
「おい、まるで来ヶ谷だぜ…」
「あの井ノ原の正拳をあっさり回避しちまうなんて…男版来ヶ谷だぜ…」
「いや来ヶ谷が男だったら転校生よりもっとえげつないだろ常考…」
冷静な人間数名が、まるで来ヶ谷と同列であるかのように語りだすのも無理は無い。
まったく焦りを感じさせない、そして、それでいて怒りの篭ったシンの目。
…唯一違うのは、それが来ヶ谷のような遊びの目ではなく、完全な殺意の篭った瞳というだけか。
「てめぇ…チョロチョロと逃げんのだけはうめぇな!胸糞わりぃぜ!」
真人も負けてはいない。いつかの来ヶ谷戦を思い出すのか、ムシャクシャしながらシンに拳を突き出す。
だがその全てがあっさり回避され、壁に大穴が開くばかり。すべてが徒手空拳なのだ。
「もう、よせよ。オレがキレる前に」
「…っるせぇっ!」
どれだけ放っても、届かない拳。
だが、強さの否定は、真人にとっても苦痛でしかない。だから、目の前のシンを倒すしかない。
ついにその拳はシンの軌道の先に回りこむことに成功する。勝った。今度こそ。

ごーんっ。
捉えたはずのシンの顔面とは、明らかに異質の音。強いて言えば…鉄。
「…てぇええええええええっ!」
「そこまでだ、真人。一方的な攻撃はお前らしくないぞ」
「恭介てめぇっ!」
そこにいたのは、棗恭介。片手にはマンガ本、片手にはフライパンでクールに決めている。
そしてそのフライパンは真人の強烈なパンチで大きく凹み、とても料理に使えないくらいのレベルになっていた。
「下の喧騒を聞きつけて来たけど、俺の許可なしにこんな楽しいイベントは勘弁してくれよ」
「いってぇじゃねーかっ!あー、上腕二頭筋さんまでビリビリしてるぜ…」
真っ赤に腫れた手よりも筋肉の心配をする真人を放っておいて、マンガ本をパタッ、と閉じると、
シンを見て一言。
「飛鳥だな、飛鳥心」
「…アンタ誰だよ」
シンの言い分も当然だ。言うなれば戦いに水を差された感じでしかない。
そんな彼の殺しそうな睨みにも、恭介は動じない。
「まぁ、そう言うなって。俺が止めなきゃお前死んでたぜ?コイツのパンチは半端無いからな」
百も承知。少なくとも常人のパンチで、壁に穴が開いたり、フライパンが凹むことはないから。
「それは置いといて、だ。俺は棗恭介、コイツの幼なじみなんかやってる」
「へぇ、じゃアンタのしたら、オレの勝ちか」
「おいおい、そう短絡的に決めるなっての。勝ち負け云々より」
俺はこの状況を愉しんでるんだぜ?
そういうと恭介は、携帯を操作して何かを始めた。


 「で、やるわけかよ」
手がすっかり回復した(所要時間:2分)真人は、ギャラリーの多さに驚愕する。
当たり前のように恭介が言う。
「本気でやり合ったら死人が出るかもしれないだろ。お前が殺すのも死ぬのもなしだ。まぁ前者はありえないだろうが」
「オレの扱い改善提案すんぞ!」
明らかに真人死亡フラグ的な発言に真人が食って掛かるが意に介さず。
「まぁともあれ、いつものルールで行う。お前ら、何でもいいから武器を投げ入れろ」
「「「「「うおーーーーーっ!」」」」」
会場が盛り上がったところで、状況の飲み込めていないシンが問う。
「ちょっと待てよ!オレルールとか聞いてないし」
「あぁ、そうか、飛鳥は初めてだったな。失念してたぜ」
恭介もいつものクセで説明を疎かにしていたことを反省し、シンに説明を始める。
「素手でやりあうと危ないからな。ギャラリーが武器を投げ入れる。掴み取ったもので戦うってルールだ」
くだらないものほどいい、付け加える恭介にも、相変わらず釈然としないシン。
「そんなもんで戦ってたらつまんないじゃないか。オレはこの手でコイツをねじ伏せて分からせてやる」
いちいち言うことを聞かない少年。会場のボルテージも頂点に達している今、このままこのカードが
流れるのは面白くない。恭介は思いつく。
「本当はバトルだけで終わらせたいが、それならば」
「お前が勝ったら、この真人に屈辱的称号を与えて構わない。負けたら勿論お前が付けられる」
「…へぇ。悪くないな」
あっさりと乗るシン。と、そこに。
「はぁ、はぁ、間に合った…」
「くるがや、おまえ足はやすぎだっ」
「はっはっは、まぁ鈴君はそうでもないとして、理樹君はもう少し運動をすべきだな」
さっきまで中庭で猫と遊んでいた鈴と、近くにいた理樹は、恭介の発信したメールを受信し、
現場に急行する来ヶ谷に遭遇。そのまま三人連れ添って会場に来たのだ。
「恭介っ!飛鳥くんは悪い人じゃないよっ!だから今すぐやめさせて!」
「理樹、そうは言っても、真人がアレだ」
「…」
目線の先、やる気マンマンの真人。
「止められないね…」
「止められるのは多分俺だけだが、俺は止めない。無論、燃えるからだ」
「そんな理不尽な…」
その理不尽さも含めて、棗恭介。
そんな彼の一声で、各所から物が投げ入れられる。
「慣れるまではきついだろうが、心の目で見て掴み取ったものがお前の武器だぜ!」
飛び交うモノ。流石にこんな経験は無いのでやりづらい部分はあるが、もう始まったものは仕方ない。
「…これだっ!」
真人が手にしたものは…。
「く、食いかけのコッペパン…!?」
歯型が生々しい、食べかけのコッペパン。
「ん、あぁすまん、俺のだ」
「さ、相良てめぇっ!」
2-Bの相良くん(自称プロの傭兵、実際ただのミリタリーマニア)が投げ入れたコッペパンを手にしてしまったらしい。
そしてシンが手にしたもの、それは。
「…なんだこりゃ」
薄い本。それには、明らかに目の前にいる棗恭介と、そして直枝理樹がしっぽり絡み合う画が。
その作風に、理樹は見覚えがあった。
「…西園さんの本だ…」
どうやら処分は叶わず、未だに存在しているらしい。
「…しかも冬コミの新刊です。ありがたく思ってください」
「西園さん…」
いつの間にか理樹の後ろに立っていた美魚が恥ずかしそうにはにかんだ。
「…よく分からないけど、これで叩いていいのか?」
「ダメ。原作者もいるんだし、本来の使用方法で戦うこと」
「…」
本来の使用方法って何だ。と問うているうちにバトルスタートの掛け声が入った。


 先制したのは真人。歯型が生々しいコッペパンでシンの頭を叩こうとする。
「…てぇっ!」
しかし振った瞬間にパンがちぎれ、手元に僅か一センチの欠片だけを残して、後はどこかに吹っ飛んだ。
「…」
だが、シンも殴打に使えないので、とりあえず適当にページを開いて朗読を始める。
「『きょ、恭介…っ、ダメ、ダメっ、ぼく、僕イッちゃうよぉっ!』ってなんだこりゃ」
「ぐはぁっ」
「うぼらっ!」
「…(ぶしゅぅっ)」
真人、衝撃。
来ヶ谷、大ダメージで戦線離脱。
美魚、鼻血噴射。
真人に150のダメージ!
「ってかオレのパンどこだぁ…」
半べそで廊下を這い回り、武器を探して回る。
そんな彼に、シンの攻撃。もはや『ずっとオレのターン』状態。
「『はぁ、はぁ…真人のなんか、目じゃ無かったよ…っ、太くて、気持ちよかったよ、恭介っ…♪』」
「ぐっはああああぁぁああっ!」
「あべしっ!」
「…(大出血)」
真人に250のダメージ!真人は倒れた!
…ついでに来ヶ谷と美魚も。
「あっけなく終わったな…」
恭介も事態を見守っていたが、こんな短期決戦は久々だった。強いて言えばVS鈴戦並。
「ま、まぁ釈然としない結果だが、勝者、飛鳥!」
「きょ、恭介っ!」
顔を真っ赤にした理樹がうつむく。そして、シンに告げる恭介。
「さぁ、真人に称号をつけてやれ。勝者の権利だ」
「肉の塊」
「そんな屈辱的な称号あるかあああああああっ!」
端的に真人のキャラを良く表しているようで、筋肉ではなく肉と表記したところがミソだったらしい。
真っ白に燃え尽きた真人に興味を持たなくなったシンは、その場を立ち去ろうとする。
「飛鳥、いいバトルだったぜ」
「…オレはつまらなかったけどな」
恭介の労いを皮肉交じりに切り捨てると、その場を立ち去る。授業を真面目に受けるつもりなど毛頭ないが。
「…」
「なぁ理樹」
「…」
相変わらず顔が真っ赤だ。もう、恭介を正視できないらしい。
「…鈴」
「黙れ、変態」
「…だぁあああぁああぁぁぁぁっ!」
泣きながら、駆け抜ける晩夏の廊下。
恭介もある意味燃え尽きたのだろう。もっとも、理樹も顔を真っ赤にしたままその場を暫く動けなかったのは言うまでも無い。


 バトルはとても淡白な感じがして、そしてつまらなかった。
シンは授業を受けながら、掌を握っては広げ、また握っては広げを繰り返す。
喧嘩だけは誰にも負けない自信があった。あの時恭介が止めなければ、きっと。
「アイツ、潰せたのに」
先に仕掛けたという事実が変わらない以上、、真人を潰す大義名分は成り立つ。
なのに、余計な邪魔が入って楽しめなかった。
心底腹立たしくなると同時に、チャイムが、彼の時間を引き裂いた。
「よーし、今日はこれで終わりだ。あと、転校生の飛鳥、お前ちゃんと聞いてたか?」
「…はい」
正直、聞くまでも無い。勉強しなくても大人にはなれる。
…そう、大人には。


 廊下を歩いている。
それは、永遠に続きそうな、グリーンマイルのような廊下。
自販機を探して歩き回っているが、いっこうに見えてこない。
そこで自販機は中庭にしかない、と思い出し、きびすを返して中庭に向かおうとすると。
どんっ、
何かにぶつかり、質量感のある何かに弾き飛ばされる感覚を覚える。
「ほわぁっ!」
「っ」
空中高く放り上げられるプリントの山。その手荒い歓迎を受けながら、目を開くと。
…グリーンと白の、しましま。
そこはほんのりと熱を帯びていて、心なしかいい香りがする。
落ち着く空間。きっと、天国とはこんなところを指すのだろう。
そしてもう暫くそこにいたいと願ったが、神様はそれを許してはくれなかった。
「…っほわぁぁぁああぁああぁっ!」
やけに独特の高揚感のある声と同時に、シンは現実に引き戻される。
そして突然目の前からフェイドアウトするしましま。そして、それは頭上に離れていった。
…どうやら、楽園はスカートの中のデルタ地帯だったらしい。
「っ、ご、ごめんっ!」
「ふぇぇぇぇ…もうお嫁もらえないぃぃぃ…」
「…」
元からもらえないんじゃないか、と頭上からの声に冷静に突っ込みながら、そう言えば廊下一帯に
プリントが散らばっていることに気付く。
「…」
そして起き上がると、何も無かったかのようにプリントを拾い出すシン。
「えっ、そんな、悪いよ…」
「いいよ。どうせ一人だったらまた失敗するだろ」
「うぅっ」
確かに図星。反論できない少女。
「でも、ありがとう」
素直に伝えられる感謝。それにすら、シンは興味を示していない。
早く、あの恥ずかしい光景を脳裏から消したいのか、とりあえず拾うことに集中する。
そして、状態を捩り、後ろにあったプリントを拾おうとしたとき。
「…」
「ふぇ?」
同じく四つんばいになり、そして可愛らしいパンツが全開になっている少女。
「…ふぇぇぇぇぇぇんっ!二度も見られたーっ!もう絶対お嫁もらえないぃぃ…」
なんなんだ、この女。
正直何をしたいのか分からなかったが、シンも女性の下着を目の当たりにするのはリアルでは初めて
(もちろん、小さい頃は別にしても、高校生になって見るとは思わなかった)で、見入るでもなく、
だからといって意に介さないでもなく、ただ流していた。
「…アンタ、大丈夫?」
「ふぇぇん…お嫁もらえない以外は大丈夫〜…」
相当ショックだったらしい。元からもらえないことを知ったらもっとショックを受けるだろう。
「…まぁいいや。オレは行くから」
「…」
そんな去り際のシンの制服のすそを掴み、見つめる。
「…なんだよ」
「…よく分からないけど、助かりました。ありがとうございます」
ぺこり。
そして満面の笑顔。
どこの誰かも分からない相手に、ここまで警戒心の無い笑顔を見せられるものなのか。
彼女は真相を話す。
「プリントいっぱいで、ほら、私背が低いから、前が見えなくて、ぶつかってしまったのです」
そして、ぶつかってしまったのに、手伝ってくれたシンに感謝。それだけだった。
「私、2年の神北小毬です。あなたは?」
「…そんなの、アンタには関係ないだろ」
「…」
すそを引っ張り、相変わらず離すつもりは無いらしい。
「ダメです。苗字は家族のもの。名前は自分だけのもの。ちゃんと、名乗りあわなきゃ」
「…っ!」
家族の苗字。
ただ、現状、飛鳥という苗字は彼しか名乗っていない。生き残った、彼しか。
「…言うなよ」
「ふぇ?」
小毬は決して悪意があるわけではないし、勿論そんな悪意をもって行動する黒い子ではない。
ただ無意識なだけなのだ。そして無頓着なだけ。時にそれが相手を大いに傷つける原因となっても。
「何も知らないのに、偉そうなこと言うなよ!」
「っ」
突然の罵声。その紅い瞳には、確かなる憎しみが宿っていた。
「オレの家族はみんな死んだ!殺されたさ!どうだ、これで満足か?」
「…」
徹底した憎悪と皮肉。それでも、小毬は動じないし怯まない。
「…なら、なおのこと、その苗字と名前を大事にしよう?」
「はぁ?アンタ何言ってるか分かってんのかよ!」
「…うん、分かってるつもりだよ」
小毬だって、そんな感情が少しは分かるのだから。
「あなたがどう思っても、あなたを残してくれた人たちの存在は変わりません。だから」
ちゃんと、その苗字と名前を大事にしてあげてください。
シンは、これ以上の議論は無意味だと悟ったのか、その場を去る。すそから無理矢理手を引っ剥がして。
「…飛鳥、心」
「…」
ぼそっと名乗った、自分の名前。
後ろで小毬が、ありがとう、シンくん!と喜ぶ声を聞きながら、終始ペース狂わされっぱなしの自分に嫌気がさす。
「…」
同時に、神北小毬という人間や、棗鈴、棗恭介など、今日会った人間たちの言葉を反芻してみた。
「…」
そして、やがて始業を告げるチャイムの音とともに、彼の足は、教室へと動き出していた。
(つづく)


あとがき

とりあえず小毬ちゃんを出してみました。
これからストーリーに大きく関与してくるキャラクターがそろそろ出揃い始める頃でしょう。
ちなみに個人的には

・恭介=アスランと同じ立ち位置(第2クールくらいまでのヘタレ蝙蝠じゃないアスラン。シンを導く)
・小毬=最初の頃は綺麗事しか言わないとシンに認識され、カガリみたいな立場、だけど後々…。

って感じでストーリーに重要に関与してくる人間の立ち位置を調整しながら書いています。
キラ?ラクス?なにそれくえるの?


鈴村さんヴォイスを当てながら書くと相当はかどる時流でした。

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