翌日の朝。
お礼がしたい、それだけの内容が書かれた可愛い猫の絵柄の紙が下駄箱に入っていた。
誰が、何の目的で、こんなものを。
戸惑うオレをよそに、世界はいつも通りの顔を見せる。


第3話 『共有財産 -I hope so-』

 誰かに礼を言われることをした覚えも無く、ただ机の上でその紙を丸めては戻し、
また丸めては戻しを繰り返すシン。教師もおおらかなもので何も言ってこない。
どこにでもある、退屈な授業風景。前の学校が不良も多く、学級崩壊をとっくに通り越して、
教師が登校拒否をするような酷い学校だったから、あまりに平和に見える景色に少し戸惑っているのも
また拭い去りようの無い事実だ。
「…礼、か」
お礼参りのことか?と少し考え込み、違うと思い直す。
文字はどう見ても女。そして、紙からも女の匂いがした。自分を良く思わない男子生徒が女子生徒に
手紙を書かせて闇討ち、という可能性を少し考えてみたが、こんな平和な学校にそのような暇人が
いるとは思えず、あらゆるルートを考えているうちに、昼休みとなった。
今日もいつもの中庭で寝ようか。
そう考えながら、自販機への道を歩く。そこで思いつく。
猫といえば昨日出逢った鈴とかいう少女が、答えを知っているんじゃないか、と。
「…まさか、な」
少なくとも鈴であるという路線は否定的だ。
まず猫缶をたかるような女がお礼などするわけが無い。むしろ礼に猫缶よこせ、と来るだろう。
なら誰が。振り出しに戻る。
「…」
そして、彼自身の居場所もまた、振り出しに戻る。

 今日はいつもの木の下に先客がいた。
「…」
青い髪が印象的な、肌の白が眩しい女の子。
「…」
とても強そうには見えない華奢な身体を木に預け、木漏れ日を光源に本を読む姿は、実に儚く、
そこに行くことを、そしてその場所を奪うことを躊躇わせる。
「…」
「…そんなところに立っていないで、木陰で休まれてはいかがですか?」
ふと、こちらに目線もくれず、少女がシンに語りかける。
「…いや、オレがいたら邪魔だろ」
「…はい。邪魔です」
なら何で誘う、と問う前に、少しいらだってそこを去ろうと踵を返す。
「…でも、こんな暑い盛りに、ここで倒れられてももっと邪魔です。だから、多少の邪魔は厭いません」
「…」
よく分からない女だが、邪魔者扱いされてまで木陰に入る必要には追われていない。
別の場所でも涼める。立ち去る決意をすると。
「…居場所」
「えっ」
本を閉じた少女が、シンを見据えて語りだす。
「あなたは、自分の居場所を、持っていますか?」
「…」
居場所。
それは、とてもあいまいな定義で、とても考えさせられる内容だ。
そこに家族がいて、自分がいて、温かい笑顔と、笑い声があって。
それが、一般的な居場所というのだろう。だが、シンにはそれがない。それが、成長に一番重要な
思春期に奪われ、そして今は居場所ではなく、存在意義の確立が精一杯だ。そんな、不安定なセカイ。
そこに果たして自分の居場所はあるだろうか。シンは今一度自分に問うてみる。
「…」
見つからない答え。少女は。


 「私には、居場所がありません。この木陰だって、不安定なものです。昨日一昨日はあなたに取られてましたから」
少し抗議の混じった、そんな声。
学校の敷地内なのだから、公共のものだ、と言ってしまえばそれまでだ。
だが見る限り人当たりのいい女の子には見えない。そして身体の強そうな女の子にも見えない。
きっとここを取ったために、慣れないところでの昼食を余儀なくされ、慣れないところでの読書を余儀なくされた、
精一杯の抗議のつもりなのだろう。
しかしシンには謝る理由が無い。見えてこない。そこが、彼女の場所だなんて知る由も無かったのだから。
「だからってオレに何の関係があるんだよ。オレはオレの心地いい場所で過ごしただけだ」
「…そうですね。そう思います」
何をいいたいんだ。分からなくなって、早く立ち去りたくなった。
だけど、彼女の常人離れした空気が、其れを許してくれない。強いて言えば、もう少しそこにいたいくらい。
「…だけど、この場所を少しでも気に入ってくれる人がいたことに、素直に喜ぶべきなのでしょうね、私は」
「…アンタが言いたいことが全然わかんないんだけど」
抗議なのか、それとも同調したいのか。態度が見えてこないので苛立ちを露にする。
相手はマイペースで、それを意に介さない態度。
ついにそこを辞すことにしたシンの手から、紙が落ちる。
朝下駄箱に入っていた、猫のプリントの紙。
それは、風に舞い、そのまま少女の足元へ。
「…」
「あっ、返せよ」
駆け寄ろうとして、その紙を見た少女が無表情でそれを突き返す。
「…」
「待たせている女の子がいるのに、こんなところで油を売るなんて、それでも紳士ですか」
「紳士じゃないけど、ワケわかんないよ」
素直に答えたが、矛盾点に突き当たる。
「って、なんで女の子だって思うんだよ」
小説を読んでいる人間なら、推理も簡単に出来るだろう。
だから、これがフェイクか、それとも本物か、それを見分けてもらおうとシンは思いつき、あえてその疑問を提示する。
答えは、あっさり返ってきた。
「これは、私のクラスメイトの子が良く使う紙です。名前は…」
お世辞にも友達が多いように見えない彼女の答えを待ってみると。
「…どざえもん」
「アンタふざけてんのかよ!」
「…でも水死体ですよ?」
「どういう脈絡だよ!」
水死体が手紙なんて出すわけない。もう呆れてモノも言えない。
取り乱した、と咳払い一つ、彼女の答え。
「神北小毬さん。クラスメイトの女の子です。よくこの紙で授業中に伝言を送ってきます」
その名前には確かに聞き覚えがあった。
「昨日のドジっ娘か…」
「もう面識があったとは意外です」
そうか?と問いかけると。
「…もう寝たんですか?」
「なんでそうなるんだよ!」
「…避妊は、大切です。あと、後学の為にどういうカラミをしましたか?攻めと受けはどちらでしたか?」
「…」
考えが読み取れない。もう、相当重症なんだろう。病院に行け、というより病院が来い、という感じだ。
「…でも神北さんが攻めになれるわけないし、あなたも多少ヘタレに見えますので、きっと双方Mでしょう」
前言撤回。もう病院逃げて、といった感じだ。
付いていけなくなり、とりあえず答えが分かったので小毬を探すために歩き出す。と。
「……私は、西園美魚といいます。また、どこかでお会いするでしょう」
「…断言かよ。オレはもう二度と会いたくないね」
「…そうですか、残念です」
ちっとも残念さを感じない彼女をそこに残し、中庭を校舎に向け歩き出す。
背中に『でも、あなたの願いは叶いそうにはありませんよ』という物騒な言葉を聴きながら。
西園美魚。不思議な女の子だった。
また会いたいとは思わないが、最後にチラッと振り返ると、美魚は何事も無かったように、
また読書に没頭していた。


 しかし、小毬がどこにいるか分からない。
むしろ、昨日突然会っただけで、そんな奴から今日突然御礼をしたいと言われてもどこにどう行けばいいか
書いていない状況では動きようが無い。とりあえず彼女のことは放っておいて、教室に戻ろうと考え、
一つの発想にたどり着く。
「…2年の教室に行けば、会えるかな」
教室にならいそうな気がした。階段を駆け上った先、そこは2年生のテリトリーだ。
すでに一個上の学年でも、シンの事は有名なのか、皆一様に彼を避けるか、好戦的な態度で挑発する。
そんな中を歩いて、そして得られた報酬…。ゼロ。
彼女がいると思えなかったので、そこを離れることにすると。

 「あれ、飛鳥くんじゃない?」
振り返ると、見慣れない男子生徒が駆け寄ってきた。
少なくとも、シンはこの男を見たことが無い。むしろ、興味を持たない。
だが男は馴れ馴れしく話しかけてくる。
「一年の飛鳥くんだよね?」
「…誰だよ、アンタ」
ウザい、あっちいけ。露骨な態度を示すが、この男には効果が無いのだろう。あくまで馴れ馴れしい。
「あ、僕は直枝理樹。この前鈴と遊んでくれたよね。あの子の幼なじみなんだ」
「鈴…」
あぁ、あの猫娘か。
そう言いかかって食い止める。妖怪猫缶娘の間違いだろ、と心の中でセルフツッコミしながら。
「飛鳥くんのこと、面白い子だって言ってたよ」
「…フン、下らないよ、そんなの。面白いって、なんだよ」
「それは…言葉どおりじゃないかな」
言葉どおり。その言葉が鬱陶しい。
誰かを笑わせるためにやっていることでもないのに。
「よく分からないけど、オレ行くとこあるから」
「えっ」
突き放すように歩き出す。こんな女っぽい、馴れ馴れしいだけの男と話すだけ時間の無駄だ。
その態度に気付かないのか、理樹が付いてくる。
「…なんだよ」
「え、だって、ファミマだよ?」
「意味分からないんだけど」
この学校は、変態や変人の育成校なのだろうか。それだとしたらとんだ選択ミスだ。
というより、なぜファミマか分からない。突っ撥ねるシン。
「勝手にファミマでもローソンでも行ってろよ」
「ローソンは僕的には外道だよ。近所のローソンが汚い上に店員の接客態度最悪だったんだ」
「誰もアンタの身の上話なんか聞いてないって!」
なんだ、この男は。
もし手元に銃があったら今頃引き金を引いてジ・エンドだ。
しかし、シンは逆に自分が可笑しいのだろうか、と疑問に思い始める。少なくとも、この男の顔を見ている限り。
「…」
だが、思い出す。
コイツも仮にも2年なら、小毬の居場所を知っているんじゃないか、と。
「なぁアンタ、神北小毬って知ってるか?」
「え、小毬さん?知ってるよ」
名前で呼ぶくらいだから現在の居場所も知っているのだろうか。
一応、念のために確認してみる。
「どこにいるか知ってんの?」
「…さぁ」
「…」
話すだけ無駄だ。そのまま歩き出す。
と、理樹が走ってくる。
「ちょっと待って飛鳥くんっ!」
「…」
ゴソゴソ。ポケットを漁る理樹。
「ねぇ、これ、なんだか分かる?」
「…ドライバーだろ」
「そうだよ、リヴァイディングドライバーだよ」
「…」
空間が湾曲するのかよ。とにらみながら言うと。
「なんか、これが関係してる気がするんだ。よく分からないけど」
「…」
あげるよ、それだけ言って理樹はシンの手にドライバーを握らせた。
「またね」
「もう会いたくないけどな」
とことんまでバカになっている男を哀れみながら、シンはその場を後にした。


 しかし、このドライバの使い道が無い。持っていてもただのドライバーだ。
「…」
投げたら何か変わるか、と思って力いっぱい投げてみる。
…何も起こらない。
そしてそれを拾うと、少し熱を帯びた風が吹いてきた。
「…?」
力いっぱい投げたドライバーは、屋上へ続く階段の踊り場に落ちていた。
屋上から吹き込む風。だけど、こんなところに、誰が?
そして階段を上る。面白半分で。
その先には、木ネジが外された窓が転がる小さな窓。そして、積み上げられた机と椅子。吹き込む風に
ガタの来ている椅子がギシギシと不協和音を奏でる。
「…」
この先に、小毬がいそうな気がして、窓枠をくぐり、抜けるような蒼に飛び出す。

 「…」
見たことの無いくらいの青空。
デジカメのワイドダイナミックレンジを使っても、表現しきれないくらいの空。
「…いいな、ここ」
「そうでしょ?」
「…」
後ろを振り返ると、ニコニコ笑顔の小毬。
「…」
「遅かったね、待ちくたびれたよ〜」
「…屋上とは書いてなかっただろ。アンタが悪い」
「…ふぇ?」
そんなはずは。。。言いかかる小毬に猫のプリントの紙を見せる。
「…はぅぁっ!」
確かに書いてない、どこにも、屋上とは。
「ふぇぇ〜…大失敗…」
やはり今なら断言できる。こいつら全員アホだ、と。
「…よく分からないけどさ、お礼ってなんだよ」
別に礼をされるようなことをした覚えは無い。ただプリントを拾ってやっただけだ。
それだけのこと、というシンに、小毬は。
「プリントを拾ってくれたことより、名前、教えてくれたことが嬉しかったんだよ」
「…?」
風が吹く給水塔の陰から立ち上がると、シンのところに歩み寄る。
「やっぱり暑いね」
「…まだ夏が終わったばかりだからな」
厳密には、まだ夏は続いているのだろう。それはこの空が証明してくれている。
シンの額の汗を可愛らしいハンカチで拭ってやると、小毬は笑顔で言った。
「シンくん、昨日は、ごめんね」
「…」
そのまま、彼を給水塔の陰に導く。そして、座るように促す。
そこには、古今東西のお菓子が大量に。ちょっとした店が開けそうなレベルだ。
「…」
「ほら、お菓子でも食べてゆっくりしようよ」
いいながら、ワッフルを頬張る小毬に呆れて背を向ける。
「シンくん?」
「…オレはこんなくだらないことの為にここに着たんじゃない」
「…」
一人でゆっくりすればいい。
去り行くシンの背中にかけられる声。
「ねぇ、シンくんの居場所って、ある?」
「…」
居場所。それは、居心地のいい場所?それとも文字通りの意味?
小毬が続ける。
「私は、あるよ。ここ」
「いつからかは知らないけど、私のベストプレイス。ここにいると幸せになれる場所」
「…」
何がいいたいのだろう。意味を汲み取れないシンに、小毬が言う。
「ここ、シンくんに気に入ってもらえたら嬉しいな。だって、今は暑いけど、素敵な場所なんだよ」
花咲く春には、生まれた街が桃色に染まる姿を一望できる。
日差しの夏には、木々の緑が眩しい、そして夏の乾いた風が心地いい景色に酔いしれる。
散り逝く秋は、冬間近を告げる冷たい風と、その風に乗って漂う落ち葉の香り、美味しそうな食べ物の匂いが秋を知らせる。
凍える冬は、流石に出ることは憚られるが、誰かがそばにいてくれれば、まだ出れるかもしれない。
「いろんな季節が見れて、いろんな景色が見れて。そしてここを気に入ってくれる人がいるといいな」
「…あいにくオレを選んだことは人選ミスだよ。オレは」
誰とも、関わりたくない。

 シンにとって、今はまだ心の傷が癒えておらず、人の優しさが逆に凶器になり得る。
小毬は優しく、そして温かい。だから、母親を連想してしまう。そしてそこから力の無かった自分が母親を
死なせてしまったことに憤る結果になり、不幸のスパイラルが起こってしまうのだ。
小毬の幸せスパイラル理論と相反する、救われない理論。
さすがに性急には無理か、諦めた小毬は。
「…でも、また来てくれるって信じてる。お菓子もいっぱい用意しておくよ〜。何が好きかな?」
「…」
 居場所を、作ってあげたい。
小毬も噂だけは聞いていた。転入生は荒くれ者で、すぐ暴力に訴えるタイプだと。
だけど、実際に話してみた彼は、決してそんな刺々しい部分ばかりではなく、むしろ、人の優しさも備わっていた。
それ以上に、不器用なのだと察した。
そして、家族を殺された、という台詞がひっかかっていた。
だから居場所を作ってあげたいと思ったのだ。シンが落ち着ける場所、また笑ってくれる場所を。
今回の幸せスパイラルは、シンの笑顔を作ること。
そのための第一歩に、あんな手紙を書いた。場所を書かずに。
…それも実は、小毬の計算だったのかもしれない。シンが、いろんな場所を回って居場所を知るための。
誰もが持っている、自分だけの場所、そこを渇望するように、と。
…皮肉にも美魚とのやりとりでそれが成就してしまった感はあるが。


 「またね、シンくん」
「…」
また。
ここにいても、いいのだろうか。
窓をくぐるとき、シンはふと、そう思った。
美魚から居場所の木陰を暫く奪っていた。
今度は、屋上を奪ってしまうかもしれないのに。
「…」
「なぁ、オレはあんたの場所を奪っちゃうかも知れないんだぞ?」
「それでもいいよ。ここを気に入ってくれる人がいるなら」
ワッフルを頬張る彼女からその返事が返ってきたことは意外だった。
「ならなんでオレをアンタの居場所に呼んだんだよ」
「それは」

共有したいから、だよ。
夏風が、シンを校舎に押し込めるころ、小毬が静かに囁いたのを、シンは聞き逃さなかった。
【つづく】


あとがき

 第3話は共有財産。それは、家族を亡くし、頼れるものは自分しかいない、というシンに、
小毬が与えた最初のチャンス。変われるきっかけ、だったのかもしれない。

 でも小毬ちゃんだから案外何も考えず、ただその人を幸せにしたいから、と思うだけで
無意識にすべてが成就しているんでしょうね。場所を書かなかった手紙も、案外その効果があったような。
そして、次回はついに皆さん大好きなあの方も動き出します。それまで荒くれるしかなかったシンを変える、
きっかけの数々。これからもご期待ください。

 終わりに、素朴な質問をいただきましたのでご紹介します。

>飛鳥 心ってしてますけど、シンを心って書いた由来はなんですか?

ぶっちゃけ楓の影響です。といったらそこまでなので。
心優しい人に成長しなさい、といった感じの意味を込めて。
難しい話まで行くと、理樹が理性、シンが心、そんな感じの共通する部分を直感的に感じ取りました。
二人とも両親が亡き人。だから、心を通わせるチャンスがあるんじゃないか、そう思ってやってみました。
後は、りき、りん、とこんな感じでストーリーの重要な人物が二文字だったので、それにあわせた感じも。
理樹、鈴、シン、響きが何となく韻を踏んでいる感じがしませんか?
ってことで、相坂でした。


※バカ理樹は気にしないでください。ちなみに、ドライバーは持っていますが、理樹は
 あの世界で屋上で小毬と過ごしたことを覚えていません。ならなんで持っているかは不明。
 えぇそうよ、大人の事情よ!大人の事情でやむなくそうしたのよ!滑稽でしょ笑えるでしょほら笑ったらどうよ(ry

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